東京大学名誉教授の上野千鶴子さんは、日本人の働き方、幸せになる働き方について、立命館アジア太平洋大学学長・出口治明さんと語り合った『あなたの会社、その働き方は幸せですか?』(祥伝社)を出版しました。今回は、上野さんに「約半世紀前に育児と仕事の両立に奮闘した男性たちの存在」などについて伺います。

約半世紀前から、育児に主体的に取り組む男性たちはいた

 出口(治明)さんのことはもちろん以前から存じ上げていましたが、対談するのは初めてでした。今回、新著に収録するために「働き方」をテーマにお話しして驚いたのは、二人の間で、意見がほぼ100%一致したことが数多くあったことです。

 出口さんと私は二人とも1948年生まれ。全くの同い年です(編集部注:二人とも京都大学卒業生でもある)。

 私たちの世代にも、仕事と育児や家事を両立してきた男性たちはいました。ウーマンリブやフェミニズムの歴史を振り返れば、今から50年前、「男性運動」というものもあったんです。皆さんは「育時連(いくじれん)」というものをご存じですか。私は歴史的な生き証人として、今の20~30代の皆さんにも日本が歩んできた歴史を伝えたいと思っています。

 「育時連」とは、「男も女も育児時間を!連絡会」(1980年6月発足)の略称です。この会が結成された当時は、まだ育児休業(育休)すらありませんでした(編集部注:育児休業法成立は1991年)。しかし、日本の労働基準法には、生後満1年に達しない子どもを育てている女性に対し、1日2回、それぞれ最短30分間、主に授乳を目的とした育児時間を請求することができるという「育児時間制度」がありました。その育児時間を「男性にも取れるはずだ」と主張した男性たちがいたんです。

 政府や企業は「これは母乳育児のための制度であって、母乳の出ない男性には意味をなさない」と言いました。でも、0歳の子どもを保育所に送迎するだけなら男性にもできますから、「(男性である)私にも育児時間を取らせろ」と主張し、その権利を行使した男性たちがいました。上司の許可も、会社の許可もないまま実力行使をしたのです。当然、その後、この男性たちは会社から嫌がらせをされ、査定評価を下げられ、出世もできなくなりました

 1978年には「男の子育てを考える会」ができましたし、この会は『現代子育て考〈その4〉男と子育て』(現代書館、1978年)を編集しています。育時連には『男と女で「半分こ」イズム―主夫でもなく、主婦でもなく』(学陽書房、1989年)という本もあります。男性たちの中には真剣に妻と育児を分かちあおう、そのためには不利益も引き受けようとする人たちがいました。

 この男性たちの背後には、育児時間の取得を夫に詰め寄った、働く妻たちがいたんです。私たちの世代では、育児・家事について主体的に動く男性はほぼいませんでしたから。どんなに頭の中がリベラルで、父親が家事・育児に携わることの重要性を理解していても、体はそう簡単にはついていきません。

1980年頃にも、育児・家事に対して主体的に動く男性たちはいた(画像はイメージです)
1980年頃にも、育児・家事に対して主体的に動く男性たちはいた(画像はイメージです)