夫の都知事選出馬と同時に離婚を決断

 18歳で起業家の家入一真氏と結婚、19歳で出産、31歳で離婚した紫原明子さん。「事業で成功して億単位のお金を手にしたら、内向的だった夫の性格が変わってしまった。知らない間にキャバクラで1晩2000万円も使っているなど、金銭問題や女性問題で悩むようになりました」。

 それでも離婚という結論を出せずにいた紫原さんに判を押させたのは、夫の都知事選への出馬。「マスコミに家族のプライバシーを暴かれ、子供たちに危害が及ぶかもしれないと思い、夫が出馬表明の記者会見をした日に、離婚届を取りに行きました」

 実は離婚の4年前から別居を開始。「夫との関係を続けるのは難しいのではないかと思っていた」ため、すぐに職探しを始めた。高卒の専業主婦だったため普通の就職活動は難しかったが、交友関係を広げることで、人づてに働き口が見つかった。「31歳でも就職できたこと、自分名義で家も借りられたことは、大きな自信になりました」

 離婚に踏み切れなかったときは、自分に落ち度があったのではないかと悩んでばかりいたと言う。「離婚を決めてしまったらスッキリして、もっと早く決断してもよかったな、と思ったくらい」と笑う。

 「離婚して失うものもありますが、自由など、得るものも大きい。私は子供たちには『離婚はしたけれど、楽しいことをしようね』と言って、旅行したり友達を家に招いたり、私たちだからできる楽しみ方を実践しています。結婚生活や相手に我慢しすぎて、『不幸が当たり前の状態』になっているとしたら、決断してもいいのではないでしょうか」

貧困母子家庭でも司法書士を諦めず!

 兵庫県の竹田城の城主・太田垣氏の末裔(まつえい)で、お嬢様育ちだったという太田垣章子さん。26歳のときに地元の病院の跡取り息子と見合い結婚するも、夫の不倫と金銭トラブルで、6カ月の子供を連れて離婚。

 「一時避難として実家に戻りましたが、30歳で出戻った『恥知らずの娘』には、針のむしろ状態。長くはいられないと痛感しました」。しかし、キャリアを積まないまま専業主婦となったため、良い就職先は見つからなかった。「資格を取って稼がなければ子供を養っていけないと考え、司法書士になろうと決めました

 離婚後、半年で実家も出て、会計事務所で仕事をしながら勉強する日々。「月の手取りが12万円。家賃6万円と勉強の費用を引くと、月3万円の極貧生活を強いられました」

 それでも諦めずに挑戦を続け、5年目で司法書士資格を取得。36歳で大阪の司法書士事務所に就職した。その事務所で、収入を増やすために始めた不動産会社への飛び込み営業が、現在の「賃貸トラブルに強い司法書士」という強みにつながっていった。

 自身の経験を振り返り、「本当のどん底で、頼りになるのはお金じゃなくて人」と断言する。「勉強と仕事でいっぱいいっぱいのとき、子供を快く預かってくれた近所の方、司法書士試験を受けているときに、『お金で困ったら頼ってきなさい』と言ってくれた仕事先の社長夫人など、たくさんの顔が浮かびます。差し伸べられる手を、感謝しながら離さないことが、どん底から抜け出す糸口になると思います

取材・文/三浦香代子(紫原さん)、氏家裕子(太田垣さん) 写真/小野さやか(紫原さん)、佐藤和恵(太田垣さん)