「片手間」の優しさは傲慢にならないため

 4年を経て「やりたい」と思ったのは、やはり「書く」こと。「今は自分の心に噓をつかず、本当に書きたいものを書けています」と言う。「書くことは、自分にとっての『調律』なんです。文章にしながら『なぜそう思ったんだろう?』と自問することで、自分を客観視できます。ブログとは別に自分の気持ちを自由に書く日記もつけていて、そちらにはネガティブな感情も、くだらないこともなんでも書いています」

 人生を立て直すなかで、新たな発見もあった。「母が保管していた幼稚園の先生の手紙を見つけたのですが、そこには、僕がセーラームーンを好きなことを褒めてくれる文章がつづられていました。その手紙の存在を忘れて大人になってしまった自分に少しガッカリしたのですが、ちゃんと周りから認められて育ったんだなあと、気づき直すことができました」

 人との関係性のなかで悩んできたけれど、同時に、悩んでいた4年間も今も、支えてくれているのは「人」の優しさだと言う。「特に友人の存在です。僕の友人は、僕が悩んでいるときでも、ただ楽しい話をして、普通に接してくれるだけ。けれど、そのおかげで、悩みに集中しすぎて狭くなっていた視野が広がり、冷静に考えられるようになります。そのうち、面白おかしく話せるようにもなって、スッキリしてしまうんです」

 友人から受け取ったものを振り返り、『優しさ』についても考えるようになった。「全力で相手と向き合うと、『ここまでしてあげたのに』と傲慢になったり、自分のシナリオを相手に押しつけてしまったりする。それによって関係が壊れたこともありました。だから、今は『片手間』の優しさがいいと思っています。日常の余白をパキッと折って分けてくれるような、自分を犠牲にしない優しさに救われるし、僕自身もそうしたいと思っています」