日本カーリング史上初のメダルをチームで獲得した本橋麻里さん。その要因は、失敗から学んだ綿密なコミュニケーションにありました。
私の人生、エラーのほうが多かった
「私のカーリング人生、トライ&エラーの繰り返しで、エラーのほうが多かったぐらい。数々の失敗があったから、結果を出すチームには何が必要かが分かってきたんです」。2018年平昌五輪カーリング女子で銅メダルを獲得した、本橋麻里さんはこう振り返る。
オリンピック代表選手に初めて選ばれ、メダル獲得まで13年。紆余(うよ)曲折を経て、地元・北海道北見市にチーム「ロコ・ソラーレ」を自ら立ち上げ、メダル獲得へ導いた。その結果を出すために必要だったのが、強いコミュニケーションでつながったチームだった。ロコ・ソラーレを立ち上げるまでは、「4年で強くならなければという焦りから、互いの弱みを指摘し合うような一歩踏み込んだ議論を躊躇(ちゅうちょ)してしまった」と言う。
五輪を逃した原因は「伝える力」の弱さだった
故郷でロコ・ソラーレを立ち上げたものの、チームづくりはゼロからのスタート。メンバーには意識的に、勝つためにこうしてほしいと思ったことを伝えるようにしていた。しかし、すぐには伝わらない。「競技レベルもモチベーションも育った環境も違うメンバーの集まりだから、一方的に伝えても伝わるはずがない。5人いれば5通りの解釈がある」。そう気づいた本橋さんは、「ひとりひとりの違いを受け入れ、個々の考えやアイデアを聞き、皆で話し合える環境づくりに努めました」。
ミーティングでは、「私はこう思うけど、どうなんだろう?」と、自分の考えを伝えつつ疑問を投げかけ、意見を促した。意見が食い違えば、「なぜそんなふうに考えるのか」「彼女は何を求めているのか」と考えた。そんな人間観察を1年以上続けてやっと、それぞれのキャラクターや思考が見え始めて、「この子にはこう伝えたほうがいいな」と思えるようになった。
試行錯誤の末、チーム内で円滑にコミュニケーションできるようになり、チーム力も少しずつ向上したが、12年ソチ五輪の選考会は予選敗退で終わり、出場はかなわなかった。「悔しくて泣きました。敗因は準備不足に尽きますが、私が『楽しい』という言葉の真意を伝え切れていなかったのも原因でした」