「最初からそうなると思っていたんだよ」は後講釈

 身近な例を挙げてみましょうか。サッカー日本代表の監督は勝てば名将と言われますが、負けが続くと無能だとマスコミに書き立てられる。さらにその監督を選んだサッカー協会に対しても、非難が起こります。特に不振な場合は「当初の予想通り、不振に終わった」とコメントするマスコミや評論家は多いもの。

 仮に弱いチームを引き受けて強化してもらいたいと思うのなら、しばらくは我慢して見守ってあげてほしいと思うものの、結果はすぐに求められ、長期的な戦略を持ってチームを育てるという就任前の声はどこかに消えてしまうのです。

 会社のプロジェクトチームにも同じようなことがいえます。うまくいかなくなると必ずどこからか「やっぱりな。最初から駄目だと思っていたんだよ」という無責任な声が聞こえてくるのです。

 例えば何かの仕事をしていて完成間近になって、依頼主から突然キャンセルの申し出があったとします。そうすると関係部署や上司からはこんな声が出てきます。

 「どうしていまさら急にキャンセルが来るの? 事前に兆候はわかったはずでしょう」
 「最初から、そうなるような気がしていたよ」……。

 これらの後講釈の批判は的外れであることが多いものです。理不尽なことになる可能性がある顧客なら、十分注意していたでしょう。恐らくそんな様子が見えなかったために、こういう事態になってしまったはずです。

 後知恵でいろいろと文句をつけられるのは気分が悪いものですが、自分も「結果が悪かったという負い目」を感じているので正面からは反論しづらいもの。

 特にこのような現象が職場で起きやすいのは、誰もが自分の責任逃れをしたいという思いがあるから。でも、単なる犯人探しになってしまうと、本当に失敗した原因やそれに対する対策を考えることがおろそかになってしまいます。組織が失敗の本質をなかなか修正できないというのはこのあたりの人間の心理に原因があるのかもしれません。