「いつかは結婚したい、子どもも産みたい。でも、仕事をしながら両立なんて、本当にできるの?」――そんな迷いや疑問を、働く女性の先輩に聞いてみる場として、『働く女子と罪悪感』(集英社)著者の浜田敬子さんを招いて開催された「出版記念特別ダイアローグ」。企画したのは、法政大学キャリアデザイン学部の田中研之輔教授で卒業生を含めて40人超が集まった。「情報過多が故に焦りがちな20代女性が、リアルな経験に基づくアドバイスを受け取れる機会をつくりたい」という狙いで、doors世代に突き刺さる話が盛りだくさん! 会の様子をレポートします。

【質問する人】
法政大学キャリアデザイン学部・田中研之輔教授のゼミ受講生とゼミ卒業生たち

【答える人】
浜田敬子さん
1966年山口県生まれ。上智大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。前橋、仙台支局を経て、93年に『週刊朝日』編集部で編集記者として務める。99年、『AERA』編集部に異動し、2014年に女性初の『AERA』編集長に就任。事業プロデュースに携わった後、17年に退社。『BUSINESS INSIDER JAPAN』統括編集長に就任。テレビ番組でのコメンテーターとしても活躍する。昨年、『働く女子と罪悪感』(集英社)を上梓。

田中研之輔さん まず、浜田さんの20代について聞かせてください。メディアの第一線でご活躍を続ける浜田さんは「ギアの入った働き方をしてきた女性」という印象がありますが、キャリアのスタート時点からそうだったのでしょうか?

浜田敬子さん(以下、浜田) いえ、全くそんなことはありません。私は新聞社に入社して数年間の支局時代は本当にダメダメ社員で、ハードな仕事についていけず、入社3日目で休んだくらい。当時は、朝も早い生活が続いて、とにかく毎日眠かった。実は、私は1年目の冬に転職活動もしています。結局、選考に落ちたので転職しませんでしたが、上司から「とにかく3年頑張れ。一つの仕事の面白さは3年やらないと見えてこないから」と言われて、なんとか続けていました。2年目に入り、初めて自分一人で回せる小さな仕事をもらうようになってから、少しずつ面白くなってきたんです。

 「何十年か後に自分が編集長をしている」なんて当時は思いもしませんでした。この間に私自身も変わったし、働く環境もずいぶん変わった。だから、若い世代の皆さんに言いたいのは、「とにかく今の状況や常識だけで将来を決めないで」。焦らずゆっくり、時には休んでもいい。でも、働くことは大きな喜びややりがいを与えてくれるよ、と伝えたいです。

 10代や20代の方に話を聞くと、いろいろ考え過ぎてがんじがらめになってしまい、「早く結婚しなきゃ。子どもも産まなきゃ。あー、もう全部いっぺんは無理だから、仕事は諦めよう」と、本末転倒な考えに陥ってしまう女性がとても多いのが心配です。生き急がないでいいんですよ。

「焦らずゆっくり、時には休んでもいい。でも、きっと働くことは大きな喜びややりがいを与えてくれる」(浜田さん)

ゼミ生Aさん まさに私、生き急いでいる一人です。自分のキャリアのことばかり考えていられないかも……と焦っています。その理由は、家庭の事情で祖父母と同居することになって、急に介護が「自分ごと」になったから。それまでは海外旅行をするなど自由奔放に生きていたのですが、10歳離れた弟の面倒も見ないといけないし、祖父母の介護もあるし、いろいろ降りかかってきています。

浜田 人生の一時期に、いろんなライフイベントが重なることで、自分ではどうしようもない負荷から逃れられない時期ってあると思います。もしその時に、仕事をセーブしないといけなかったり、どちらかを選ぶことを迫られたりすることがあったとしても、人生はそれで終わりじゃない。何度でもやり直せるし、ハードな時期を乗り越えて、もう一度自分のやりたい仕事に挑戦できる人のほうが、すごく魅力的だと私は思います。

 実際、私がかつて採用した記者の一人は、履歴書に「大学中退」と書かれていた人でした。事情を聞いたら、「祖母の介護で」と。お母様が働きに出ないといけなかったので、どうしても彼女が地元に帰って介護を引き受けなきゃいけなかったんですね。彼女のおばあ様が施設に入居できたのを機に彼女は上京して、夢だったメディアの仕事をつかむためにテレビの制作会社に入りました。そこでドキュメンタリー番組制作を一から手掛けて力をつけ、そして編集部に応募してきてくれた。「彼女のようにつらいことを乗り越えてきた人は絶対にいい仕事をする」と確信があったから、私は採用しました。ブランクやハンデを一度経験した人は、「なぜ働きたいか」「どういう力を身につけたいか」という動機付けが強い。だから、人生のどんな苦労もプラスになる時が来ると思ってください