男性が描く母親像と、女性が描く母親像は違う

 完成した映画の感想を聞くと、山戸さんは「すべての監督の過去の作品を見た上で、個々人の最高傑作だと感じました」と嬉しそうな表情を浮かべた。

 「きっと、この世代の女性の監督だけで作るオムニバス短編集は世界初なのではないでしょうか。テーマも負荷が強く、そんなプレッシャーを乗り越えた年下の皆さんのことを尊敬しています。特に創作初期の監督は、エッジの立った鋭い感受性を持っています。それはものを作る上で必要なトゲです。そうした個でありながらも、分かち合うものがあった作品でした。年下の監督に対して、敬意を持って接し続けられ、私自身、本当に宝物のような体験でした」

 男性監督が作るものと女性監督が作るものの違いはどこにあるかと尋ねると、「映画に限った話ではなく、小説でも漫画でも舞台でも共通的な側面がある」という。

 「表現物を性差で語ることは難しいですが、構造がもたらす傾向をあえて言語化すると、例えば、男性が描く母親像と女性が描く母親像は、恐らく違います。女性であれば、母親としての痛みや戦い、苦しみからは目を逸らせない。『次は(その母親としての痛みや戦い、苦しみを)自分が引き受けるものかもしれない』と考え、その痛みを感じながら描きうるのではないでしょうか。そうした『母の闘い』への目線も必要とされていると感じます」

 「つまり、映画の世界では、描かれるべき物語が、あと半分も残っているのです」と山戸さんは言う。

 個人差もあるが、確かに、ある事象に関する男性による見方と、女性による見方は違うと感じることは多くはないだろうか。映画監督が同じ場面を描くにしても、男性と女性とでは描き方はずいぶんと異なるはず。映画監督の女性比率が高まるにつれ、きっと私たちは見たことのない映画を見られるようになるだろう。空恐ろしいほど楽しみだ。