「ハリウッドではおよそ90%の映画が男性監督の手によるもの」と山戸結希さんは語りますが、同様に日本の映画界も「ザ・男社会」です。職場環境が女性にとって働きづらかったり、女性の感性が評価されにくかったりといった問題が横たわっています。このたび、 華やかな才能を秘めた15名の女性監督が集結したオムニバス映画『21世紀の女の子』の企画・プロデュースを務めた山戸さんは「キャリアの入り口に立っている女性の映画監督を応援したい」と語ります。山戸さんに、いまだ男性中心の社会の中で、女性としてどう生きるかについて聞きました。

「山戸結希 女性という枠ではなく個性を評価されるために」で前編をお読みいただけます。

自分が撮れなくなっても、監督する女性を増やしたい

「女性同士で対立せざるを得ない状況ではなく、もっと光の差す道順があるべきなのです」(山戸さん)
「女性同士で対立せざるを得ない状況ではなく、もっと光の差す道順があるべきなのです」(山戸さん)

 いまだ男性が主流の映画界で、山戸さんはどのような「女性であることによる障壁」を体験したことがあるかと質問すると、「笑ってしまう話かもしれませんが……」と前置きしつつ、こんなエピソードを話してくれた。

 「他の監督されている女性のネガティブな部分を、なぜか私に伝えてくる方がいらっしゃったんです。その体験自体は、性別に関係なく悲しいものでしたが、その人は『女性の監督同士は、お互いにライバル視している』というイメージを持たれているようでした」

 「しかし、私はその監督の作品に、素晴らしさを感じていました。ですから、それを伝えられたのはかなりショックでしたし、その時、女性の作り手は割合として少なく、そのために分断されているからこそ、そんな誤解が放置されてきたのかもしれない……という把握もありました」

 確かに、女性監督が大勢いる世の中では、そういう発言は起こりにくいだろう。

 山戸さんは「まず、すべての女性が『女性というマイノリティーの枠』を取り合いたいと思っているわけではない」と断言する。

 「これは会社の中で、1席しかない女性役員の席に誰が座るのか? という問題と似ています。そうやって女性同士で対立せざるを得ない状況ではなく、もっと光の差す道順があるべきなのです。ですから、まず、椅子を自らの手で持ち寄って、監督する女性が、どんどん増えてほしいと願っています。シンプルに、それによってたとえ自分が撮れなくなったとしても、全く構わないし、そちらのほうがいい。明るい世界の中で、真に切磋琢磨できるほうが、ずっと素晴らしい作品が生まれます」

 そのために山戸さんが思い描く夢がある。それは、自分が40~50歳になったとき、女性の監督を育成する映画女学院を作ること。

 「これから新しく映画を撮り始める女の子たちも、この世界の障壁や問題に、少なからず直面することになるかもしれない。このままだと、私が死ぬまでに、映画を監督する女性は増えないだろう。そう思った時、そのことを放置して自分自身のことだけを頑張るよりも、自分自身のことも頑張りながら、後進の世代にも何かできるアプローチがあるはずだと考えました。トライアンドエラーでもいいから、トライを始めたいと思いました」

 山戸さんは、「女性という枠ではなく個性を評価されるために」という記事で「ハリウッドではおよそ90%の映画が男性監督の手によるもの」と語ったが、日本の映画界も同様に「ザ・男社会」だ。職場環境が女性にとって働きづらかったり、女性の感性が評価されにくかったりといった問題が横たわっている。