「『日経doors』のムービーを見て、涙がぶわっと出ちゃいました」と語ってくれた杉山直子さん(42歳)。ご自身がdoorsの読者層と同じ20代だった頃を「必死でもがいて、転びながら走った時期」と振り返ります。厳しい社会の現実にもまれながらも、次々と自らの手で新しい扉を開けていきました。今回は、先輩世代のどん底の状態から会社を立ち上げるまでのキャリアストーリーをお届けします。

杉山直子(すぎやま・なおこ)
HITOMINA 代表取締役
杉山直子 1977年生まれ。大学卒業後、求人広告、マーケティング企業で営業として活躍。2012年、HITOMINAを設立。未就学児童を持つファミリー層をターゲットとした企業向けマーケティング、プロモーション、イベント開催、メディア運営などを主軸に幅広く活動中。一般社団法人JAPAN FAMILY PROJECT代表理事。プライベートは夫と猫の2人+1匹暮らし。

母親向け求人に疑問 もっと多様な働き方があるのでは

 「新卒の時、実は、入社前日まで『働きたくない』って思っていました。社会人になることへの恐怖があったんです。ジタバタしても当然、朝は来るので(笑)仕方なく出社初日を迎えたんです」

 現在、会社社長、代表理事として活躍する杉山さんから飛び出したのは、こんな意外なエピソードでした。もともと、好奇心旺盛だった杉山さんは、学生時代にアルバイトやサークルをいくつも掛け持ちしていたアクティブ派。就職活動では「さまざまな人と出会いたい」とマスコミ業界を志望しましたが、かなわず、フリーペーパーを扱っていた求人広告会社に入社を決めました。

 当初は不安を抱えたまま、営業としてキャリアをスタート。周囲から「営業は向いてない」と言われることもあり、自分に適性があるのかも分かりませんでしたが、次第に担当者と仲良くなったり、クライアントが提案を受け入れてくれたりして、「思っていたよりも楽しい」と感じるようになりました。また、知らない会社を訪問できることが面白く、営業ならではの喜びを感じたそうです。

 しかし、ある時から、「クライアントに価値を提供できていない」ことに葛藤するように。「クライアントが自分を信じてくれているのに、採用や結果につながらないことが苦しい」と感じ、転職を考え始めました。求人広告分野以外で、もっとダイレクトに人とつながる仕事をしたいと思い、子どもを持つワーキングマザーに関心が向きました。

 「当時、私は28歳。2000年代前半で、出産後も働く女性が増えてきた頃ですが、母親向けの求人は『主婦歓迎!』『週3、時短勤務OK』といったアルバイトやパート向け求人ばかり。これ以外にも母親が働ける方法はもっといろいろあるのではないかと思い『働く女性を支援する』ことに興味が湧いてきました。そこで、ファミリー向けの事業について学びたいと思い始めたんです」

「ワーキングマザーをはじめ、働く女性を支援したいと強く思いました」
「ワーキングマザーをはじめ、働く女性を支援したいと強く思いました」

「独身、一人暮らし、無職」どこにも属していない自分

 その数年後、会社が業績低迷のために「早期退職希望者募集」をし始めました。「それなら堂々と転職できる」と考えた杉山さんは、気持ちを切り替え、早期退職希望に手を挙げ、転職活動を開始。ところが、転職エージェント経由も含め、160社に応募したものの、内定はゼロという結果に直面します。

 退職前には次の仕事が決まっているだろうと考えていましたが、結局、何も決まらないまま退社の日を迎えました。「私は『営業』の仕事をしていたけど、自分を『営業』することは苦手。ずっと自分に自信が持てず、それが応募先企業にも伝わったのかもしれません」と振り返ります。

 失意のまま無職生活2カ月が過ぎたある日、地元を歩いていると、街頭インタビューの撮影クルーに声を掛けられました。「職業は?」と聞かれ、思わず黙り込んでしまった時、「どこにも属していない自分」を改めて突き付けられたと言います。

 「32歳、独身、一人暮らし、無職、以上。みたいな(笑)」と杉山さん。友達にも会いたくなくなり、落ち込んだと話します。「どんなときでも自分に確固たる信念があれば、胸を張っていられるのに……

 もう無職生活は続けたくない。この状況を脱しなければと杉山さんは転職活動を再開します。「当時の私は、正社員で働くべきだと思っていたので、再び転職活動を始めました。1カ月後、やりたいことに近い事業を展開している会社から、なんとかご縁をいただくことができました」