小学校の頃の夢は「図工の先生」

 では、和波さんがもとからデザインの仕事を志していたかというと、そうではない。子ども時代の夢は「図工の先生」。

 小学校低学年時代、図工の時間に作った作品は、当時の先生からは「あなたの作品は子どもらしくない」と言われてしまった。しかし、転機はやってくる。小4の時、新しい図工の先生が赴任してきたのだ。その先生は和波さんの作品を心から称賛し、彼女が描いた絵を図工室の壁一面に飾ってくれた。その数はゆうに100枚を超えた。中には和波さんの絵を気に入り、もらっていく児童もいた。その他、先生は展覧会の空間のデザインまで、和波さんを含む子どもたちに任せてくれたりと、何かとよくしてくれた。和波さんはそんな先生に憧れを抱いた。

複雑な環境で過ごした子ども時代

 取材中も始終にこやかな和波さん。しかし実は子どもの頃の家庭環境が複雑で、高校生からは居候先に身を寄せていた経験を持つ。

 さらに、大学受験の時には居候先の方が亡くなり、第一志望の国立大には落ちるなどの不幸が重なった。和波さんは受験を諦めそうにもなった。でも、学校の先生や周りの友人や大人から支えられ、どうにか進学の切符をつかんだ。進学先は一般大学の芸術学部。専攻は情報デザインだった。

 大学費用は卒業後に全額自分で返済することにした。「学費をムダにはしたくありませんでした」。先生に掛け合って他学部の授業まで聴講。工学部の授業や、映像制作などメディアアート、興味のある授業には片っ端から顔を出した。大手IT企業のサービス企画インターンも参加した。そんな自分を振り返り、「他の学生からは少し浮いてたかもしれません」と苦笑する。

今が幸せ。明日のことは明日にならないと分からない

 最後に、将来へのビジョンを聞くと、和波さんは笑いながらこう答えてくれた。

 「もちろんデザインでも何でもやりたいことはたくさんありますが、 明日のことは明日にならないと分かりません。今日1日生きていられることがありがたいんです。ちゃんと睡眠と食事が取れて、帰れる場所があるのは幸せです。自分の技術が人に喜ばれて、日々新しいチャレンジができる、今がとにかく嬉しいんです

 複雑な家庭でつらい幼少期の体験を乗り越えた、底抜けに明るい笑顔がそこにはあった。

取材・文・写真/筒井智子