シェアハウス、シェアカー、シェアオフィス―――誰かとモノを共有するという概念がここ数年急速に広まりつつある。そんなシェアの普及の旗振り役を担うのが、石山アンジュさんだ。シェアにかける思い、これまでの軌跡について語ってくれた。

「シェアエコ」の礎を築いてきた

 シェアオフィスやシェアカーなど誰かと何かを共同で使うシェアサービスの市場規模が伸び続けている。矢野経済研究所の調査によると2018年度に824億円となる見込みで、この4年で3倍となった。2022年度には1386億円まで拡大すると見られている。このシェア市場拡大の旗振り役を担うのが、石山アンジュさんだ。

 石山さんは2015年にシェアサービスを手掛ける企業をとりまとめ、市場を広げることが目的とされたシェアリングエコノミー協会の設立に奔走。さらに2017年には政府から内閣官房シェアエコ伝道師に認定され、シェアリングエコノミーの普及や政策の実現を目指して活動してきた。まさにシェアリングエコノミーの礎を築いてきたといっても過言ではない。

 シェアエコノミーの拡大に石山さんを駆り立てる理由は一体何なのか。「シェアこそが、これからの平和な未来に欠かせない発想だと思います」と石山さんは言う。石山さんが目指すのは互いに相手を思いやり、助け合うことで成り立つ社会だ。

10代の頃からの夢は「平和な世界を作りたい」

 石山さんがシェアに目覚めたのは、幼少期に遡る。「自宅には常に両親以外の人がいました。父は作家でブラジル音楽のミュージシャン。自由な人だったので世界各地を旅して、そこで出会った人が訪ねてきたり、外で飲んで意気投合した人を家に泊めたりすることがありました。シェアハウスのようにいつも誰かに囲まれているような状況でした。一方、母はデザイナー。仕事が大好きで私を産んで2週間後には海外出張をするくらいバリバリと働いていました。そんな母はママコミュニティーを作っていて、インターホンを押せば食事を食べさせてくれる家が近所に何軒もありました。そんな環境で育ったので、誰かと何かをシェアするというのは日常茶飯事だったんです」

 さらに石山さんが12歳のときに両親が離婚したことにより、シェアライフは加速していく。石山さんは「父の家に3泊した後は母の家に3泊、その後は友人の家に泊まる」というように、一定の場所に住むこともなくなっていった。「よく両親が離婚したというとかわいそうと言われるのですが、私にはそんな悲壮感は全くなくて。両親だけでなく、父の恋人、母の恋人などいろいろな人がわが子のようにかわいがってくれました

 子どもの頃からシェアライフの素晴らしさを享受する一方で、石山さんがかねてから抱いていたのが「平和」に対する思いだ。「なぜか昔から戦争映画が大好きで。たまたま誕生日がアドルフ・ヒトラ ーと同日、しかも丸100年後だったこともあり、今では笑ってしまいますが当時は使命感と強い縁を感じまして(笑)。高校生になると母にお金を借りて一人でポーランドのアウシュビッツ収容所まで行ってきたことも。博物館で展示を見て、平和とは何なのかを改めて考えました。この頃は『ピースメッセンジャーになりたい』と思っていました」