身を削って描いた作品が…… サイバーか、漫画家か

 身を削って描いたそのバトン漫画が、念願かなって『モーニング』新人賞の奨励賞に選ばれた。「大学の研究室で友達と話していた時に携帯電話が鳴って、『モーニング編集部の○○です。このたび、担当につかせていただきたいと思います』と言われて『えー!! よろしくお願いします!』って」

 でも、ここで矢島さんは手放しで喜んだわけではない。「漫画で食べていくことを目指すならこれがラストチャンス」と思って行動を起こしたものの、「やっぱり食べていけないかもしれない。とりあえず就活もしなくては」という直感が働き、サイバーエージェント(以下、サイバー)のフロントエンジニア職を受けて内定をもらっていたからだ。サイバーは大学2年時代にインターンも経験していた。

 漫画家か、サイバー入社か。悩んだ矢島さんは、編集部とサイバーに率直に状況を説明して相談してみることに。

 編集部は「サイバーに務められる漫画家はあまりいない。5年ぐらい働いて社会を見てこい」「1回サラリーマンをやって、将来、現代版・シマコー(『課長島耕作』)をやりましょう」と言ってくれた。

 次に、芸大デザイン科出身でアーティストの経歴もあるサイバーのデザイナーに相談。「お金は大事。1回就職したほうがいい」というアドバイスだった。「今でも尊敬している方で、その方の言葉を聞いて『じゃ、入ります』と即刻決めました」

漫画家とサイバーエージェント社員を両立することに…
漫画家とサイバーエージェント社員を両立することに…

「誰も新人のバトンの漫画なんて読まない」

 そして3月、友達が皆、卒業旅行に行く中、一人東京に残って祝賀会に出席。祝賀会には、受賞の連絡を受けた1月から描いていた新作を持参し、編集長に渡した。懲りもせず、バトンをテーマにした作品だった。

 会場にいた東村アキコ氏からの助言が刺さった。「誰も新人のバトンの漫画なんて読まない。漫画家が何を描きたいかって、読者には関係ない。あなたはオフィス・ラブコメ。とにかく読者のことだけ考えて描く!!!!! バトン漫画は売れてから!!!

 帰りのタクシーで、祝賀会で言われた内容を編集担当者に伝えると、「プロの作家さんにそれほどのアドバイスをもらえることはあまりない。よかったね」と言われたそう。「私の漫画の特徴は、明るくてさらっとした読み味。だから、そこを生かして青年誌で王道の絵柄とストーリー、明るい作風。これを売りに、オフィス・ラブコメを描こう、と方向性が決まりました」

 4月以降、多忙な日々が始まった。サイバーでの会社員生活と漫画家のパラレルワーク。朝8時から9時半まで会社近くで朝食ビュッフェを食べつつ編集担当者と隔週ミーティング。ストーリーが固まると作画に移り、毎朝6時から3時間漫画を描いて出社。22時に退社して、そこから朝2時まで家で漫画を描くという4時間睡眠生活を続けた。それなのにこの時描いた漫画はボツになった。「当時の私は遊ぶことを全く知らなかったから、ただのマジメなお仕事ものになってしまった」