攻めの姿勢では描けなくなっていた

 2018年1月。攻めの姿勢では描けなくなっていた。

 「色々重なったんです」

 連載開始前の1年間、矢島さんはすっかり気が抜けてしまっていた。「ビッグタイトルでの掲載に挑戦する恐怖が大きかった。『絶対滑ると分かっている芸』をしなくてはいけないと弱気になっていました。だったらその不安を解消するために手を動かせばいいだけの話なのに、連載陣のあまりの迫力に、逆に縮こまってしまったんです。どんどん悪循環に陥って、まずは体重がガンガン減って……今より12キロくらい細かったかな(笑)。徐々に頭が働かなくなりました」

 第3話までは順調にネームが描けていたが、ネームはおろか自分の言葉も出づらく、描くことが全くできなくなっていた。

 「今だから思えることですけど、新連載って、根拠のない自信や、『新たな物語を始めていくんだ』っていう希望、そしてそれと相反する少しの不安を持って勢いよく始めるのがベストだと思うんですよね。たとえ体は疲れてても、心の動きは激しくあるべきというか。でも、当時の私はその真逆でした。体力も精神力も全部削がれた状態でのスタートだった。漫画は感情を描く作業。健全な精神力、体力なく、思考が停止している状態で、登場人物の心理描写なんてできるわけなかったんです。そんな最悪の状態になる前に、何か打つ手はなかったのかなって、今でも思い返すとまだ消化しきれない思いでいっぱいになります。ずっと伴走してくれてた担当さんにも申し訳なくて」――。

 取材中、涙が矢島さんの頬を伝った。編集部との当初の約束だった10話まで死に物狂いで描き切ったが、その後、精神的な部分から来る体調不良と、後悔と挫折感がひたすら彼女を襲った 。

 「連載終わってからも大変で、毎晩悪夢にうなされて睡眠薬なしでは寝られない状態でした。もう漫画を描くのは無理だと思って転職サイトに登録しましたよ(笑)」

「あんな最悪の状態になる前に、何か打つ手はなかったのかな……」
「あんな最悪の状態になる前に、何か打つ手はなかったのかな……」

 そんな折、今年ヤングジャンプ新年会で原氏に再会した。「大御所の先生方や、何人もの編集者さんに囲まれていらっしゃったけど、隙をついてお声がけしました。「『バトンの星』を描いていた矢島です、って」

 原氏はこう答えたという。

 「読んでたよ! 3話まで面白かった。久々のヒット作が来たと思ったんだけどね。才能あるよ。描き続けたほうがいい」

読者に愛される連載作品を描く

 約5カ月後、そんな精神的な不調から抜け出して、今に至る。

 また新しい漫画が描けそうなチャンスも近づいてきている。

 「新年会で原先生とこんなやりとりをしました。『今何歳?』『30歳です』『そうか、まだ全然描けるね』って。実は私、気にしてたんです。女だし、もう30過ぎちゃったしって。普通に結婚を急かされるし、編集さんからもその辺心配されることが多々ありました。でも、原先生は、男とか女とか関係ない次元で、漫画家としての私を見てくれた。嬉しかった。またいつか原先生とお会いしたときに、強い作家になっていたい。そのためには、読者に愛される作品を連載で描くしかありません。もう迷っている場合ではないんです」

 常にエンジンを120%吹かして、つい無理をしてしまう。そんな超のつく頑張り屋の矢島さんが、今後、生み出す作品はどんなものだろう。一読者として、読みたい気持ちでいっぱいになった。

取材・文/小田舞子(日経doors編集部) 写真/花井智子