小学校3年生から漫画家になる夢を描き、大学生時代に本格的に始動。卒業間際で『モーニング』新人賞・佳作に選ばれるも、漫画家デビューとサイバーエージェント入社が重なり、パラレルワークに突入。漫画家と会社員、やりたいことを両方やる楽しさと辛さを知った末、矢島さんは……。

矢島光(やじま・ひかる)
漫画家
矢島光 1988年東京都生まれ。 大学卒業後、サイバーエージェントに入社し、フロントエンジニアとしてアメーバピグの運営に携わる。2015年に退職し、専業漫画家に。 著書に『彼女のいる彼氏』『バトンの星』など。

小3で漫画家の夢を描く 中高時代はバトン一色

 漫画『彼女のいる彼氏』の作者、矢島光さんが漫画家になるという夢を描いたのは小学校3年生の時だった。幼い頃からお絵描きが大好きだった矢島さんを本気にさせたのは、漫画雑誌の『りぼん』掲載の漫画『イ・オ・ン』。

 「私も(『イ・オ・ン』作者の)種村(有菜)先生みたいなきれいな絵を描けるようになりたい。漫画家になりたいな、と思って。それからは藤井(みほな)先生の『GALS!(ギャルズ)』をまねした漫画をノートに描いて友達に見せたりして、『ひかるちゃん、じょうず~』とか言われてました」

 しかし、そんな漫画家に憧れた生活は小学生で一旦停止。入学した中高一貫校がバトントワリング部の強豪校で「バトンに激ハマリ」。朝から晩までバトン漬けで、絵から遠ざかった。「高校3年の12月に開催される全国大会に出場したので、デッサンもろくに練習できず美大への進学は諦めました」

「漫画家は自分のとっておきを描かないとダメ」

 無事、2008年に芸術を学べる慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学する。大学2年で漫画家の夢が再燃。「でも面白いストーリーが思い付かず……。駄作と分かっていながら『金のティアラ大賞』に3本応募しました。結果は、一次選考通過まででした」

大学に入り、小学3年生からの「漫画家になる夢」が再燃したという矢島さん
大学に入り、小学3年生からの「漫画家になる夢」が再燃したという矢島さん

 大学3年では自分の課題を打開するために、SFCにいた、とある先生に相談。「(漫画家は自分にとっての)一番のとっておきを描かないとダメだ」という、矢島さんにとってその後の指針にもなるアドバイスをもらう。「私にとっての『とっておき』はバトントワリング以外にあり得ない」とテーマを見定めた後は、作画に没頭した。大学4年の10月まで漫画一色。そして『モーニング』新人賞に応募した。

 漫画を描くプロセスで一番苦しかった部分はと尋ねると、矢島さんは迷わず「ネーム」と言い切った。ネームとは、作品の骨格を定める設計図。コマ割りの用紙にセリフや絵の素案を描きこんでいくものだ。「ここで何を描きたいのか試される。漫画には主義・主張や、世の中に対して伝えたいことがあるべきで、それが何もないと漫画家として社会との接点を持てない」という。