国内外に12店舗の暗闇ボクシングジムを運営するb-monster(東京・港)。25歳の塚田美樹代表、美樹代表の妹で24歳の眞琴取締役が経営する同社は、創業4年にして急成長を遂げています。ニューヨーク旅行をきっかけに起業を決意したという2人のキャリアと、今後の目標を聞きました。

塚田美樹/塚田眞琴

つかだ・みき/つかだ・まこと

経営者

起業家
経営者

左:塚田美樹さん
b-monster代表。大学生の頃からビジネスに興味を持ち、洋服のレンタルサービスやカメラマンと旅行者のマッチングサービスを手掛ける。2016年2月に妹・眞琴さんと行ったニューヨーク旅行をきっかけに起業し、暗闇ボクシングスタジオの運営を始める。

右:塚田眞琴さん
b-monster取締役。高校生の頃は、インターネットの掲示板で相方を探し「ハイスクールマンザイ」に出場。駒沢大学法学部を退学し、現在は姉・美樹さんとb-monsterを運営する。

「無口だった幼少期」 「将来に不安を覚え留学を決意」

――姉妹で経営をされています。お二人はもともと、起業家マインドに溢れていた?

美樹さん(以下、敬称略) いいえ、幼稚園から高校まではずっと女子校に通っていたのですが、幼少期は無口な子でした。人と関わるのが苦手で、誰の感情も動かしたくないと思っていました(笑)。

 ですが、大学に入ってから変わりましたね。聖心女子大学の文学部哲学科に入学し、ヨットサークルに入りました。とにかく大学が楽しくて、大学在学中に起業に興味を持つようになりました。

 大学1年のときは、ちょっとしたおしゃれ着のレンタルサービスを思い付き、Facebook上で友人同士が服を借りられるビジネスを始めました。その後も、全国の旅行者とアマチュアのカメラマンをマッチングさせるサービスを作るなど、新しいビジネスを生み出すことに興味を持ちました。その仲介手数料として1件決まったら500円手元に入るように設定していたのですが、「これをビジネスにするのは厳しい……」と考え、やめてしまいました。

――大学時代からいろんなビジネスを思い付いていた。眞琴さんはいかがですか?

眞琴さん(以下、敬称略) 私も姉と同じで幼稚園から高校まで、ずっと女子校育ちでした。ただ、環境によって性格が変わる子でしたね。幼少期は天真爛漫(らんまん)で、知らない人にも「遊んでください!」と声を掛けてしまうようなタイプ。ですが、小学5年生の頃からは、人の目を気にしながら生きていくようになりました。

 高校生になって、「このままではいけない」と思ったことがあったんです。「毎日高校へ通い、大学に入って、会社に就職して……」。そんな自分の将来が見えてしまったときに、「今日は学校に行かない」という選択をしないとそこで自分の将来が決まってしまうという、漠然とした不安を覚えました。

 あのときは学校に向かう途中だったにもかかわらず、いてもたってもいられなくなり、当時留学をしていた友人に連絡をして留学代理店を紹介してもらい、その足で代理店へ行きました。そして、代理店の担当者の人と話をして、「3カ月後にはイギリスへ留学に行きたい」と両親に話しました。親も海外に出てほしかったみたいで、とても喜んでいましたね。

起業のきっかけはNY旅行、構想から3カ月でジムをオープン

――ニューヨークでの旅行が起業につながったと伺いましたが、ボクシングジムを始めようと思った経緯を教えてください。

美樹 私たちの家庭では、毎年お正月にその1年の抱負を発表するんですが、私も眞琴も「ボクシングジムで5kg痩せる」という目標を掲げていました。それで、近所のボクシングジムへ行ったのですが、全然楽しいと思わなかったんです。当時は、少しずつボクシングジムがダイエットの手段としてはやり始めていたのですが、男性向けのボクシングジムが「女性歓迎!」とうたっている感じで、女性のニーズにまだジムが追い付いていないと感じたんです。

 2016年の2月にニューヨークへ眞琴と二人で旅行に行ったのですが、現地にいる友人に何気なく「近所のボクシングジムへ行ったがあまり楽しくなかった」と話したんです。すると、その友人が「ニューヨークには暗闇ボクシングジムがあるよ」と教えてくれて、二人で実際にジムへ行ってみました。

 二人で実際に暗闇ボクシングを体験したら、すごく楽しくて。ジムが終わった後には、「これを日本で作ろう」と決めていましたね。

ニューヨークで体験したジムが楽しくて、純粋に「日本でもこの体験ができたらいいな」と思いました

――すごい! その後はどのようなスピード感でジムの運営が始まったのですか?

眞琴 2016年2月の旅行の後、3月には会社を設立していました。そして、ホームページの作成やパフォーマーの採用、物件探し、内装作りなど、いろんなことを進めて、6月には銀座に1号店をオープンしました。私は当時大学2年生だったのですが、起業するため3年生に上がるタイミングで大学をやめました。

美樹 正直、当時は記憶がないくらい忙しかったですね。初めてのことだらけで、毎晩泣いていました。でも、父から「ビジネスは泣きながらやるものではない」と言われ、必死で乗り越えました。

 当時は、泣くことに対して悪いイメージはなかったのですが、今は自分も楽しく経営できないと意味がないなと思っています。