「敷かれたレールに沿って進むだけの日本の教育を変えたい」という情熱を持ち、現在はプロノイア・グループの広報兼コンサルタントとして働きつつ、自身の会社WORLD ROADを設立した平原依文さん。「地球を1つの学校にする」を目標に、活動を続ける平原さんの想いを聞きました。

平原依文

ひらはら・いぶん

プロノイア・グループ広報兼コンサルタント

広報
コンサルタント
起業家

プロノイア・グループの広報兼コンサルタント。WORLD ROAD設立者・CEO(最高経営責任者)。小学2年生から単身で中国、カナダ、メキシコ、スペインに留学。東日本大震災がきっかけで帰国し、早稲田大学国際教養学部に入学。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソンに入社。その後、プロノイア・グループへ転職。広報・コンサルタントを担当しつつ、WORLD ROADを設立。

いじめがきっかけで、小2で中国への留学を決意

 平原依文さんは小学2年生にして単身で中国に留学。その後もカナダ、メキシコ、スペインと国を越えて学び、中学2年生のときには「日本の教育を変えたい」という現在の夢をすでに確立していた。その驚くべき決断力と行動力のルーツは小学校時代の出来事に関係している。

 「実は保育園から小学校1年生まで、ずっといじめられていたんです。人と話すのが怖くて、自分の殻に閉じこもっていました。でも、小学校1年生のときに中国人の女の子が転校してきたら、いじめの対象がシフトしました。その子と話すと自分もいじめられるので、無視をするようになりました」

 ところが無視しても、無視しても、その女の子は「依文、見て! 算数のテスト100点だったよ」と屈託なく話しかけてくる。

 「あるとき、たまらず『どうして無視しているのに話しかけてくるの?』と聞いたんです。そうしたら、『私は中国人だからハングリーだよ。中国は人が多いから、競争が激しいよ。依文は勉強すること、暮らすことに何か心配がある? ないでしょ』と言われて、衝撃を受けました」

 競争って何だろう。私も中国に行けば、自分の思ったことを口に出せる強さが身に付けられるの?そう思った平原さんは母に「中国に行きたい」と告げる。

 「母はいわゆる教育ママで、私に週7日習い事をさせるほどでした。でも、私はどれも好きになれず、気乗りしなかった。そんな私が初めて自分から意思表示したのが『中国に行きたい』でした」

 家族で1週間の中国旅行に出かけた平原さんは、現地の人々のパワーに圧倒された。

 「空港に着いた途端、いろんな人の言葉が飛び交っていて、パワフルで。何を言っているのかは分からなかったのですが、喜怒哀楽がすごく豊か。私もこの感情の豊かさを身に付けたい、強くなりたい、と思いました。気づけば母に『中国に住みたい』と言っていて、中国旅行は学校探しの旅になりました」

 そのまま現地の学校の入学テストを受け、小学2年生の2学期から中国の全寮制の小学校に留学。成田空港まで見送りに来てくれた母は「これからは全部、自己責任よ」と言い、留学に反対していた父は怒って口をきいてくれず、見送りにも来てくれなかった。