多様な人種・文化の中で仕事を経験
「私のために動いてもらうのではなく、『製品を使う顧客のために』という共通目標を設定し、どうすればよりよいものを提供できるのかという視点でコミュニケーションを取ると、徐々に指示を聞き入れてもらえるようになりました。もともと仕事でぶつかったとしても、仕事後にその感情を引きずる人はいなかったので、仕事とプライベートの線引きが明確でドライな環境でしたね」
三枝さんが米国で勤めていたのは、日本の自動車メーカーの下請け企業でした。そのため、職場には日本人が出張に来ることもあり、その際には通訳やコミュニケーションの橋渡し役も担っていたそうです。
「例えば、日本からの出張者が米国職員に業務の話をしていても、米国職員は休憩時間になると迷わず話を切り上げ、サッと休憩に入ります。日本では珍しい行動かもしれませんが、米国では当たり前のことなので、このような場合には文化的な背景を説明し、コミュニケーションがスムーズにいくようサポートしていました」
日本で働くために、30歳で帰国
米国で4年働き、社内コミュニケーションを滞りなく進められるレベルのビジネス英語を習得していた三枝さんですが、30歳のときに帰国を決意しました。
「留学を含めると10年ほど米国で生活し、高校生の頃に私がかなえたいと思っていた夢――米国に留学して現地で就職することや、米国内の各地を旅することなどはすべて達成できたので、今度は日本で働いてみようと思ったんです」
しかし、帰国後の就職活動は、思うようにいかなかったといいます。