さて、3年も日本を離れていると、すぐに日本の社会に適合するのは不可能です。でも3年離れて外から日本を見ていたからこそ、日本の良さにも良くない部分にたくさん気付くことができました。最大の疑問は、日本人ほど真面目に一生懸命働いている国はないのに、どうして空回りしているのだろうということです。これは私の「人生のやりたいことリスト」の中の一つに残っていますが、いつか政治家になって少しでも日本をいい方向に変えられたらなと思いました。

リハビリを兼ねて大学院へ そして新聞記者に

 そこでリハビリを兼ねて、というわけでもないのですが大学院に行くことに決めました。東大の公共政策大学院というところです。卒業後の進路でいうと官僚になる人の割合が高いのだと思います。将来的に政治家を志すのにきっと役立つと思いますが、私の場合は何を学んだかというよりは、進学したおかげで社会復帰ができたということでしょうか。取りあえず当面やりたいことはやったので、しばらく「普通」に働いてみようと決めました。何事も経験です。

 恥ずかしながらここで、私の「将来の夢」の変遷を少し振り返ってみたいと思います。小学校の卒業アルバムには、オリンピック選手になりたいと書きました。もともとスポーツが大好きなので、スポーツ選手になりたかったというのは純粋に今も思います。母が司法書士という影響が大きいですが、中学の頃は弁護士になりたいと考えていました。また、山際淳司さんの『スローカーブを、もう一球』が好きで、スポーツノンフィクション作家になれたらいいなとも思っていました。そして大学を卒業する頃は体育の先生でした。

 気が変わりやすいというのはさておき、どちらかというと独立型なのかなと思います。そんな私がやりたい仕事、というか会社員として唯一やっていけそうな仕事と言ってもいいのかもしれませんが、それが新聞記者でした。また、多少変わった人でも受け入れてくれる土壌があるのが日経新聞なのだと思います。

 当初は3年くらいで辞めるだろうと思っていましたが、結果的に9年在籍しました。この間、大小さまざまな企業を取材し、本当にたくさんのことを学びました。誰もが知っている大企業でも、まだできたばかりの小さな会社でも、話を聞けば聞くほど面白みが増していきました。愛着も湧きますし。世の中にはたくさんの製品やサービスがあり、普段は気に留めることもない誰かが働いているおかげで、私たちは便利で豊かな生活を送ることができています。もちろんたいていの人は、私を含めて、仕事に追われて日々を生きるのに精いっぱいだと思うのですが。

 南米最南端の町はアルゼンチンのウシュアイアといいます。ここはとても風が強く、真横に曲がったまま育った木が観光スポットとして有名になっているほどです。ウシュアイアは南極ツアーの起点にもなっていて、私もフォークランド諸島と南極半島を巡る二週間のクルーズに参加しました。夏なのと、半島の先だけだったので、思ったほど寒くはありませんでした。
 ツアーではもうこれ以上見なくていいというほどのペンギンを見ました。が、私が行った場所には皇帝ペンギンは生息しておらず、いつか皇帝ペンギンを見にまた南極に行きたいと思っています。

「自分が仕事とどう向き合っていきたいか」

 私が9年間で学んだ結論としては、どんな仕事にも意義ややりがいがあって、結局、大事なことは「自分が仕事とどう向き合っていきたいか」だということです。

 どんな仕事でもどんな環境でも、いい部分も悪い部分もあり、上を見ても下を見てもきりがないのですね。その中で自分はどこを見ていくのか。一見やりがいが少なそうな仕事でも意義を見いだせる人はいるし、やりがいのありそうな仕事でも不平不満しか言わない人もいます。また、趣味でも生きがいでも育児でも介護でも、理由はさまざまですが、全員が仕事に100%の力を注げるわけでもありません。そんな中で、自分が抱えているさまざまな制約や、将来の夢や希望をひっくるめて、仕事との向き合い方に答えを見つけられているといいのかなと思います。男性よりは女性のほうが、この答えを見失いやすいと言えるので、だからこそ、特に若手の女性にはぜひ考えてもらえるといいかなと思います。

人生のやりたいことリストを消化しなければ

 ちなみに私は、その問いに答えることができなくなって仕事を辞めました。私が声を大にして言うまでもないですが、新聞記者の仕事は間違いなく、とてもやりがいがあり意義のある仕事です。でも30代も半ばを過ぎ二人の子ども(2歳女児&5歳男児)と自分の人生を見つめ直した時、死ぬまでにまだまだ他にやりたいことがあるという結論に達しました。「人生のやりたいことリスト」を消化していかないと、あっという間に気力も体力もなくなってしまうだろうと気付いたのです。今でさえ、もう一人でオートバイで何年も海外を旅行する気力はなくなっています。