元新聞記者で、現在スペイン・バルセロナでMBA留学中の竹本恵さんから、月1回、20~30代働く女性向けのメッセージを送ってもらいます。第1回は、竹本さんのこれまでの歩みにフォーカスします。

日本各地を転々とした子ども時代

 読者の皆さん、初めまして。竹本恵です。元新聞記者で、現在はスペイン・バルセロナでMBA留学中です。

 日本経済新聞社に9年在籍した後、2018年の3月に退職し、7月末にバルセロナにやって来ました。9月から、晴れてESADE Business Schoolという学校でビジネスを勉強しています。スペイン語読みで「エサーデ」と発音します。皆さんにはあまりなじみがないかもしれませんが、フィナンシャルタイムズのMBAランキングでいうと世界20位の学校です。

 ESADEではチームで取り組む課題が多く、成績の3~5割はチームの成績で決まるほどです。忙しいときは毎日のように集まって議論するので必然的に仲良くなります。もちろんチームにもよりますが。
 おおむね6人のチームで、学期ごとにメンバーは変わります。構成でいうと、アジア2人、欧米2人、南米2人という組み合わせが一般的なようです。私の最初のチームメイトは、コロンビア、ペルー、ドイツ、インド、イタリアの出身でした。

 これから数回に分けて、私のスペインでの生活や学校のことなどをお話しします。今回は自己紹介に絞って、そもそも竹本恵がどういう人間なのか、説明したいと思います。

 私はいわゆる転勤族で、幼少の頃は父の仕事の関係などで広島県や福島県など日本各地を転々としました。中学から高校2年までは仙台市で過ごし、高校3年の時に新潟市に引っ越し。今思えばそんな時に転校しなくてもという感じですが、1年後に念願かなって無事に東京大学に入学することができたので、本当に終わりよければなんとやら、です。かれこれもう、ちょうど20年前のことだと思うと恐ろしい限りです。

東京六大学野球で野球がしたい

 高校の時に起きたアジア経済危機に影響を受けて経済学を志しました、というと格好がいいのですが、大学でやったことといえば「野球」に尽きます。実は「東京六大学野球で野球がしたい」と思い立ったのが東大に行きたいと思ったきっかけでした。中高はソフトボール部でしたが、野球が大好きだったし、勉強も頑張りたいと。なにしろそんなことを考える人はめったにいない、というのが私には魅力的でした。

 常に、やりたいことは全部やりたいのです。

何かのために何かを諦めるということが耐え難く「いや待て、それはただやりたくない言い訳なんじゃないか?」と自問自答しているうちに、少なくともベストは尽くそうというところに落ち着きます。

 そんなわけで大学では硬式野球部に入りました。私より何年か前に、明治大学の野球部に米国人の女性がいたので、「日本人」女性で初めて東京六大学野球の公式戦に出場したのが私ということになっています。当時、多少話題になったので、30~40代以上の野球好きな人だと記憶の片隅に残っているという人もいるかもしれません。男性に比べると体格は劣りますが、幸運なことに左利きだったので、アンダースローでなんとか活路を見いだそうとしました。全く結果は残せませんでしたが、とてもいい経験をさせてもらえました。

このまま就職してもいいのか?

 毎日が野球漬けだったので、少しでも野球の役に立つようにと思い、大学の専門は教育学部の身体教育学に変えました。今は変わっているかもしれませんが、東大は1~2年次は全員が教養学部に在籍し、3年になるときに専門の学部を選ぶシステムです。私が入学したのはほぼ全員が経済学部に進学する文科Ⅱ類でしたが、野球のことを考え教育学部に変えました。卒業論文も投球動作に関する研究でした。でも卒業後のことを考えなければいけない時期になった時、まだこのまま就職はしたくないぞと焦りました。まだやりたいことがたくさんあるじゃないかと。まだ見ていない世界がたくさんあるじゃないかと。終身雇用が一般的な日本の社会でこのまま就職していいのだろうかと。