イギリス留学時代はトイレで勉強

マリエ:私は高校まで山奥でドメスティックに生きてきたので、大学で上京して初めて出会った「キコクシジョ」という人たちが眩しくて、羨ましくて、直視できなかったんです。関谷さんは小学校の時、イギリスにいらっしゃったんですよね?

関谷:そうですね、6歳から2年半くらい。子どもだから確かに吸収は早かったけど、当時は「一緒に遊ぼう」みたいな英語しか話していなかったです。

マリエ:9歳で日本に帰ってきて、英語を維持するための、いわゆるバイリンガル教育は受けていたんですか?

関谷:全然。小学校だから当時は英語の授業もないし、特に何もやっていなかったです。むしろ日本語に苦労しました。みんなが漢字を勉強し始める頃、私は英語圏にいたので。よく覚えているのは、テストの時に「港」という字がどうしても思い出せなかったこと。

マリエ:確かに「港」は難解ですよね。でも、中学から始まった科目としての英語には自信があったんじゃないですか?

関谷:確かに、初めのうちは楽勝なんです。でも、中学2~3年になってくると、周りの優秀な子たちのほうが良い点数を取るようになっていって。英語の音は分かるのに、スペルが分からない。これはちゃんと勉強しないといけないぞと焦りました。

マリエ:イギリス帰りの身としては、ちょっと悔しいですよね。

関谷:そうそう、これは経験に甘えてちゃダメだなと。私は英語が得意だし、得意であり続けたい。だから、自分を追い込むために「海外の高校に行かせてくれ」と親を説得しました。

マリエ:大学留学ではなく、どうして高校だったんですか?

関谷:私が通っていた学校からは、毎年3~4人交換留学に行くんですよ。高校で留学する選択肢があるのを知ったら、それはやってみないとと思いました。

マリエ:環境が変わることへの不安はなかった?

関谷:むしろ、昔から変化が結構好きでしたね。イギリスでも2回引っ越しているし、思えば3年以上同じ場所にとどまったことがないかもしれない。

マリエ:なんか、それがすべてな気がしますよね。関谷さんを関谷さんたらしめているのは、「変化を恐れない姿勢」

関谷:締めが早い(笑)。

マリエ:すみません、前のめり過ぎました(笑)。

マリエの気付き
中学3年で、高校留学という選択肢があったなんて。山奥にいた15歳の私は「隣の市の進学校」が最上級の選択だったなと思うと、関谷さんの視野の広さにやっぱり嫉妬(笑)。地方の教育委員会御中、選択肢の少ない生徒たちにキャリア教育を何卒……!