豊富な語彙より伝わる言葉

マリエ:通訳って、すごく難しい仕事だと思うんですよ。ライターも言葉選びには苦慮するけど、通訳者は言葉を瞬時に選ばないといけないじゃないですか。想像するだけでゾッとします……。

関谷:ああ、それでいうと、私は昔から辞書が好きなんですよね。和英に英和に英英に。中でも一番好きなのは類語辞典でした。新しい単語に出合ったら、意味の近しい表現も一緒にインプットしておく。きっと言葉が好きなんでしょうね。

マリエ:言葉が好き。納得です。関谷さんの代表作にもなっている『カリスマ同時通訳者が教える ビジネスパーソンの英単語帳』も、言葉が好きな人の発想ですよね。

関谷:2000語とか2500語とか、英単語帳は収録単語数が多ければ多いほど良いという常識がある中で、60単語しか紹介しない型破りな単語帳だったのですが、ありがたいことにシリーズ10万部を突破しました。

マリエ:やみくもに単語を詰め込むよりも、ビジネスシーンにおいて「伝わる」ことを重視した単語が並んでいるなと思いました。

関谷:まさにそうなんです。自分が会社員として経験したビジネスシーンや、通訳者として関わった著名人の話し方を聞いていると、「できる人」の英語には共通点があったんです。

マリエ:収録されている単語の一番初めは「share」でしたね。

関谷:会議でもスピーチでも、やっぱり効果的なのは「share」なんですよね。さあ、これからプレゼンが始まりますよというとき、「I will tell you XX.」というより「I will share with you XX.」と言われたほうが、『あなたと価値観を分かち合いたい』というニュアンスが出るじゃないですか。

マリエ:あの本を読んでから、ここぞとばかりに「share」を使うようになりました。コミュニティと言語って、紐付いていますよね。同じコミュニティにいると、言葉選びもなんとなく似てくる。だから、相手が使う言葉に寄せていくことで、心理的にも近づくことができそうですよね。

関谷:多少言い回しがやぼったくても伝わればいい、という考え方もありますが、言葉選び一つで「こいつ、ビジネス知ってるな」と印象付けることができる。ただ言い回しを知っているだけで、ビジネス相手との関係が大きく進展するかもしれないのに、それをしないのはもったいないじゃないですか。

マリエ:確かに、オンでもオフでも、洗練された言葉選びをする人のことは好きになっちゃいます。言葉の領域ってセンスだと思われがちだけど、科学できる分野なんだなって思いました。

関谷:語彙が豊富なのは良いこと。次のステップは使い分けができることですよね。

マリエ:ところで、通訳の方って表に出てこない方が多いイメージなんですけど、関谷さんはどうして本を出すことになったんですか?

関谷:言ってしまうと、当初の目的はブランディングです。通訳を始めたばかりの頃は、大きな案件になるほどアイミツなんですよね。料金と実績に加えて、自分を選んでもらうためにプラスに働くものが必要だなと思っていて。当時は英検やTOEICの対策本ばかりで、今ほど「ビジネス英語」というカテゴリが確立していなかった。そこに絞ったのは正解でしたね。

マリエ:ポジションを取れたんですね。

関谷:そうそう、タイミング的にも良くて、楽天が社内公用語を英語にすると発表して、世の中がザワつき始めた頃だったんです。それまで、TOEICのようなテスト科目でしかなかった英語が、いよいよ私たちの身近にやって来る。その直後にNHKのラジオ番組が決まって、追い風でしたね。

取材後、マリエのモノローグ

子どもでも大人でも「私は絶対これがやりたい!」と何かに情熱を持つことは、実は難しいことだと思います。ちょっと興味が湧いても、バカにされるんじゃないかと心配したり、自分にはできないだろうと諦めてしまったり。だから目標に真っすぐな人を見ると、自分とは違う人だと思ってしまうんです。

中3の関谷さんが「イギリスの高校に行きたい」と両親に相談したときのエピソードをよく聞くと、関谷さんのモチベーションは「英語が得意な自分でいたい」でした。特段、壮大な夢があったわけではないんですね。子どもの頃から私たちは「夢を持つこと」を推奨されているので、やりたいことが分からないことが罪深く感じてしまう。そんなときは問いの言葉を少しだけ変えて「どんな自分でいたいか」を考えてみる。その答えに従順に生きていれば、自ずと次の扉が開かれていくんだと気付くことができました。

それにしても、トイレで勉強はすごい……。今でも海外経験のある人に嫉妬することはあるけれど、自分が努力するようになって気付いたのは、帰国子女たちは、努力する時期が自分より早かったってだけなんだなってこと。関谷さんは「違う世界の人」じゃない。同じ世界に生まれた「めっちゃ努力した人」でした。

――後編では、大人になってからの学び直しについて伺っています。お楽しみに!

取材・文/ニシブマリエ 写真/稲垣純也