自分は天才だと思っていた

 さて冒頭に話を戻しますが、私が昔の自分に「あきらめて努力しろ」と言いたい理由は、お恥ずかしながら、私は自己肯定感が異常に高く、自分は天才だと思い込んでいたからです。こうやって文字にすると、なおさらヤバそう。

 岐阜県の山奥で生まれ育ったのですが、一言で言うと、クラスのみんなより得意なことが多かったんです。成績も良かったし、足も速かったし、ピアノも弾けたし、バレエも習って、先生からの信頼も厚い。ちょっと頑張ればできちゃう、みたいな。でも結局、井の中の蛙でしかなかったのですが。

一見いたいけな少女ですが、姉(左)にも対抗意識を燃やしていた
一見いたいけな少女ですが、姉(左)にも対抗意識を燃やしていた

 大学進学で東京に上京。英語が得意だったので英文科に進学すると、初めて出会ったんです。帰国子女という生き物に。マンガの中でしか見たことがなかったその人たちは、大学内でも独自のコミュニティを築き上げていて、英語の授業もストレスフリーなご様子。私はそれまで「上の中」くらいにいたのに、一気に「下の上」に蹴落とされた気分でした。

 それで私はどうしたか。必死に勉強して帰国子女たちに食らいついていったのか。いいえ、嫉妬していないふりをしたんです。「できない」ゾーンにいることが本当は悔しくてたまらないのに、負け戦は嫌いだから、戦うこともやめてしまった。要するに、スネちゃったんです。勉強も人生も、本来勝ち負けじゃないのにね。

 自己肯定感をこじらせた私は、それでも心のどこかで信じているんです。そのうち一発逆転があるはずだ、誰かが私の才能に気付いてくれるはずだと。

 だから、どんどん焦るんですね。普通に会社員になって、広告を売って、カウンタートークを覚えて、広告を売って。おや、なんか私、普通だぞ、と。世の中に出てくる起業家やタレントたちはどんどん自分より年下になっていって、SNSを開けば、みんなの輝かしい仕事報告を聞いて。かたや私は、たかだか数百人の営業職の中でもパッとしない。

 そして、遅ればせながら気付いたのです。「私、天才じゃなかった……!」と。気付くのに20年ちょっとかかってしまった。恥ずかしくて泣きそう。

社会人になりたての一発逆転を信じていた頃。ジャックナイフのよう
社会人になりたての一発逆転を信じていた頃。ジャックナイフのよう