得意な人がやればいい。苦手を伸ばそうとしない

マリエ 周子さんの経歴って、なんかこう、ものすごいじゃないですか。ロンドンで生まれて、小学校低学年は日本、高学年はアメリカ、中学が日本で、高校がイギリス、大学が日本で、大学院はイギリス。なんでそんなに選択肢がグローバルなの? って。

周子 小さい頃は親の都合でしたけどね。中学で日本にいたときは、漢字テストで0点に近い点を取って、先生にすんごく心配されました。いまだに漢字は苦手で、よく母に直されるんですけど。

マリエ 2つの言語の中で育つと、幼い頃は大変ですよね。イギリスの高校を出て、大学でまた日本に戻ってこようと思ったのはどうしてですか?

周子 両親に「大学は日本の大学に行っておきなさい」と言われて。日本は独特な国だから、小さいうちから日本社会に「接続」していなかった私は、大学を逃したらもう日本社会に入りづらくなっちゃうだろうからって。

マリエ なるほど。日本人のマナーとかあうんの呼吸とかって、学ぶというより身に付けるしかないですもんね。日本に来たことって有意義でしたか?

周子 うん、本当によかったなと思います。そのまま海外にいたら、日本に対する親近感がなくなっていただろうなって。それに今でも友達でいてくれるすてきな人たちにも出会えたから。でも教育に関しては、ロンドンのほうが好きでした。

マリエ どんな違いがありました?

周子 日本で受けたデザインの授業の課題では、使うソフトが指定されていたんですよ。私はそれにビックリして。イギリスでは1つの課題が設定されたら、そこに至るまでの手段は自由なんです。順番が逆だなーって思って。「このソフトを使って何を作るか決めましょう」とする日本と、「これを作ってね、何を使ってもいいから」とするロンドン。

マリエ 周子さんは、自由に手段を選びたい人だったんですね。

周子 そうなんです。条件が細かく決められている日本は親切という言い方もできます。日本は日本で好きなところがたくさんあるので、否定したくはないのですが、教育に関してはイギリスが恋しくなりました。

マリエ それで、ロンドンの大学院に。インタラクティブメディアってどんなことをする学問なんですか?

周子 私は「触って伝わる」ってことを研究していたので、みんなで手をつないだら、心臓音が一定のリズムになるというプロジェクトをやっていました。成功はしなかったんですけどね。

マリエ 面白いですね。もし私が周子さんみたいなキャリアを持っていたら、きっと外資系金融とか外資系コンサルとか、「ザ・バリキャリ」な道を志すんじゃないかって想像してたんです。私は、地位とか名誉とかの呪縛にまだ縛られてる人間だから(笑)。ビジネスの世界に後ろ髪を引かれる思いはなかったんですか?

聞き手のニシブマリエ
聞き手のニシブマリエ

周子 ああ、全然なかったですね。バリバリな感じのところにいると居心地が悪くて。

マリエ じゃあもともと、競争心や人からどう見られるかみたいな虚栄心がなかった?

周子 たぶんなかったんでしょうね。競争心の話になると母が言うのが、中学で「百人一首を覚える」って宿題があったときに、私は2つしか覚えなかったらしいんです。母が「もうちょっと覚えなくていいの?」と聞くと、「そういうのは好きで得意な人がやればいいから、私は2つでいい」って言ったみたいで。

マリエ 中学生の頃から、本質を捉えまくってますね。

周子 それが私の価値観なんですよね。得意な人がやる。だから周囲の子たちがバリキャリの道を選んでいたとしても、「人は人、私は私」って感じでした。

マリエ かっこいい……。あえて苦手を伸ばそうとしない。でも大学院に行っているくらいだから、言語化したり分析したりするのも好きだったのでは?

周子 好きでした。好きだったけど、おなかいっぱいになっちゃった。大学院でセオリーを詰め込んで、論文のためにたくさん言葉にして、それで学習欲が満たされたんでしょうね。次はもっとシンプルなことをしようって思ったんです。おばあちゃんのことが大好きだったので、彼女にも分かるくらいシンプルなことを。

マリエ 感覚的なほうに行こうと。

周子 基本的に、言葉で考えないんですよね。でも、言葉で考える人っていっぱいいますよね。例えば友達に恋愛相談をされたときも、「すんごい考えてるなー」って感心しちゃうんです。

マリエ そうか、私はまさに言葉にできない物事が苦手で、言語化できないと不安になります。だから今、周子さんから「考えるな、感じろ」と言われたような気がしました。

取材後、マリエのモノローグ
私は昔から「人からどう見られるか」を燃料に生きてきた人間でした。だから周子さんみたいな、根っからのウェルビーイング人材に出会うと、いつも「この人には勝てない……!」と感じてうらやましく思うんですよね(そもそも勝ち負けとはって話なんだけど)。

周子さんの百人一首のエピソードもすごく好きで、百人一首を覚えろと言われたとき「そういうのは得意な人がやればいい」というのが周子さん。たぶん人に負けたくなくて、全部覚えるのが私。どっちがいい・悪いはないけど、苦手をつぶすような、マイナスをゼロにすることにエネルギーを使ってきた私としては、目から鱗なストーリーでした。苦手なことを頑張らなかったり、言葉にできなかったりすることは、悪いことじゃないんだなぁと。

 ――後編「小田周子『持続的に働くためにちゃんとブレーキを踏む』」では、ロンドンで子ども二人を育てている周子さんの出産・子育てについてお聞きしました。お楽しみに!

取材・文/ニシブマリエ 写真/Ola O. Smit(冒頭1枚目)、稲垣純也