社会人になってから次のステップを考えるとき、キャリアはもちろん、女性は結婚や将来の住環境など、いくつもの選択を意識しますよね。「でも、どの道を行けば自分らしくいられるの!?」。東京から愛知へUターン転職し、キャリアアップもプライベートの充実もかなえた2人に、お話を聞きました。

<b>生田真希さん</b>(左)<br> トヨタ自動車株式会社 トヨタ記念病院 メディカルサポート部 人づくり・カイゼン推進本部<br> 1984年生まれ。愛知県出身。大学進学を機に上京し、バイオ系の学部・大学院を修了。出版社に入社し、医療系月刊誌やビジネス誌の記者として取材・執筆に携わる。将来に備えて愛知に戻ることを考え転職。2018年からトヨタ記念病院にて、病院広報として広報誌の制作や院内研修、CS向上のための各種施策の企画を担当。休日は夫とドライブしたり、名古屋市の池下などでお洒落な店を開拓するのが好きな過ごし方<br> <br> <b>佐藤萌里子さん</b>(右)<br> 株式会社デルフィス 第1トヨタ局 第3室(九州エリア担当)</br> 1988年生まれ。岐阜県出身。中学校から大学までは愛知県名古屋市で過ごす。大学卒業後は、東京で大手通信キャリアに勤務。スマートフォンや、付帯サービス、ブランドのコミュニケーション企画やCM制作に携わる。2017年から株式会社デルフィス名古屋支社で営業として勤務し、現在は地域に特化した広告宣伝やCSR領域を担当。楽しみは、気の置けない地元の友人たちとの食事会や、年に数回の海外旅行
生田真希さん(左)
トヨタ自動車株式会社 トヨタ記念病院 メディカルサポート部 人づくり・カイゼン推進本部
1984年生まれ。愛知県出身。大学進学を機に上京し、バイオ系の学部・大学院を修了。出版社に入社し、医療系月刊誌やビジネス誌の記者として取材・執筆に携わる。将来に備えて愛知に戻ることを考え転職。2018年からトヨタ記念病院にて、病院広報として広報誌の制作や院内研修、CS向上のための各種施策の企画を担当。休日は夫とドライブしたり、名古屋市の池下などでお洒落な店を開拓するのが好きな過ごし方

佐藤萌里子さん(右)
株式会社デルフィス 第1トヨタ局 第3室(九州エリア担当)
1988年生まれ。岐阜県出身。中学校から大学までは愛知県名古屋市で過ごす。大学卒業後は、東京で大手通信キャリアに勤務。スマートフォンや、付帯サービス、ブランドのコミュニケーション企画やCM制作に携わる。2017年から株式会社デルフィス名古屋支社で営業として勤務し、現在は地域に特化した広告宣伝やCSR領域を担当。楽しみは、気の置けない地元の友人たちとの食事会や、年に数回の海外旅行

愛知にもあった、自分のキャリアが生かせる仕事

――お2人とも愛知での勤務を希望して転職したのはなぜですか?

佐藤 私は中学校から大学まで名古屋で過ごしていたんですが、就職を機に、一度は東京に住んでみたくて上京しました。仕事が楽しかったので気付いたら5年が経っていたものの、東京では長く住むイメージができず、愛知勤務の可能性が高い会社への転職を考えたんです。

生田 私は高校まで名古屋で過ごして、大学進学で上京しました。出版社で医療系雑誌に7年携わってからビジネス雑誌に異動したんですが、仕事がハードになりストレスが大きくなったんです。また、30歳になった頃から周りが結婚して子どもを産み始めて、自分も仕事とプライベートの両面で将来どう過ごしていきたいかを考えるようになりました。そんな中、昨年の4月に大きな仕事をやり遂げて、頑張りの限界を迎えたんです(笑)。気持ちをリセットしたいと思って、愛知に戻って転職することにしました。

佐藤 初めての転職って正直不安ですよね。私は現在も携わっている業務領域は同じなものの、前職と現職では業界自体は大きく異なるので、今までの5年の経験がちゃんと他社で生かせるのかなと思っていました。でも、今の会社の人たちは皆あたたかく迎えてくれたので、まっさらな気持ちで心機一転、楽しく働くことができています。

生田 私も記者という特殊なキャリアで、かつ医療かメディアに関わりたい、でもMR(医薬情報担当者)や営業ではなくて……となると、なかなか見つからず不安はありました。今の仕事には、実は2回応募したんです。最初、転職サイト経由でエントリーしたら、経験と仕事内容が合わないということで断られてしまったんですが、諦めきれなくて直接会社のHPから再応募して内定をいただきました。「ここだ!」と思って突き進んだのは間違ってなかったんだなと感じています。