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狂っているのは、誰だ?

【小説】業界内ヒエラルキーと下克上

【第3話】ベンチャー業界ヒエラルキーの自分の立ち位置を認識し、下克上を胸に誓う。

会場の投資家陣に出資を検討してほしい旨をほのめかしても、社交辞令でかわされる。そんななか、起業家同期として意気投合した佳子さんはピッチコンテストの舞台に上がり、堂々たるプレゼンをするが……

※【第2話】「経営者カンファレンスで何が行われているのか?」

 「いいですね、頑張ってください」
 大手投資会社の役員が曖昧な笑みを浮かべて言った。

 「素晴らしい取り組みだと思います」
 業界メディアの記者が早口で言った。

 ここではほとんどの人が、優しくて冷たい。私が挨拶をすると笑顔で話を聞いてくれるものの、出資を検討してほしい旨をほのめかした瞬間に、彼らは社交辞令を述べてそそくさとどこかへ行ってしまう。落胆を悟られないように笑顔を維持したまま、今日4杯目のコーヒーを取りに行った。

暗黙のヒエラルキー
暗黙のヒエラルキー

 この業界には暗黙のヒエラルキーがある。一番上に君臨する、と私が勝手に感じているのは「エンジェル投資家」。彼らは有望な起業家に出資をし、ベンチャーキャピタルにLP※として出資をすることもある。

 特に事業を成功させた起業家兼エンジェル投資家は業界の羨望の的である。特定のベンチャーキャピタルにとっては資産を預けてくれるお客様でもあり、次の起業にまた出資をさせてもらえれば大成功のチャンスもある。経歴のしょぼい駆け出しの起業家が資金調達をするのは大変だが、ハイレベルな起業家になってくると限られた枠をむしろ投資家側が取り合う形になるのだ。その場合、条件や信用や関係性、ベンチャーキャピタルの強みや特徴などを勘案して、起業家側が彼らを選ぶことになる。

 例えば今回のイベントを主催しているベンチャーキャピタルは、出資先がサービスを売却したい場合に買い手企業を見つけてくることを得意としている。これは起業家にとって大きなメリットだ。私もお近づきになっておこうと考えて昨日代表と話したが、通り一遍の挨拶と社交辞令だけで終わってしまった。

 そしてもちろん起業家兼エンジェル投資家は新人起業家にとって、頼りになる憧れの先輩だ。事業を成功させ、上場なり売却なりをして、自由に使える資金が数百万〜数十億円、ごく一部だが百億円以上あるのが彼ら。面倒な社内プロセスを通さずとも、ポケットマネーから独断で出資を決めてくれる。そして何よりも、事業をすでに成功に導いた先輩が協力者に加わるほど心強いことはない。私がつい油断して加賀美についていってしまったのも、そんな事情からだった。

スポットライトで照らされている
スポットライトで照らされている

 流行の歌手がライブをやるような大きな舞台の薄暗い空間。その真ん中にぽつんと立つ佳子さんが、スポットライトで照らされている。

 「市場規模は?」

 エンジェル投資家として有名なある人物が、審査員席からマイクで言った。

 「矢沢経済研究所が今年公表した調査結果によると、2012年、家事代行サービス市場規模は利用者の金額ベースで、前年比約20%増となる960億円となっています。つまり伸び盛りで、1000億円の市場といえます 」

 先ほど私に教えてくれたサービスをコンテストでプレゼンした佳子さんは、ハキハキと答えた。

 「素晴らしいですね。しかしそのぶん、競合も多いですよね? 既存との違いや優位性を教えていただけますか?」

 エンジェル氏がそう言うと、彼の隣に座る若手ベンチャーキャピタリストはこれ見よがしにため息をつき、目を閉じて「うんうん、確かに」といったようにうなずいた。佳子さんは、焦りを帯びた声で答えた。

 「既存サービスはあまり検索や予約に適したデザインになっていません。より、スマートフォンからアクセスしやすいよう最適化して……」

 「例えばどのあたりをどう変えますか?」

 「……デザイナーが現在検討中です」

 「なるほど」

 エンジェル氏の言うことはもっともだし、競合優位性のために、デザインの差別化が急務であることを示唆している点でも有益だった。そのときベンチャーキャピタリスト氏は、エンジェル氏のほうを見た。そして彼と目が合うと、だめだこりゃ、とでも言いたげに眉を上げて肩をすくめ苦笑した。

 私はこの瞬間、こいつのことが許せなくなった。安全地帯から偉そうにしているんじゃねえよ。自分では何も言わないで、エンジェル氏にこびを売りながら優越感を味わっていやがる。何よりもこいつは、。今あなたがコバンザメのようにくっついているエンジェル氏も、ほんの3年前はたいした実績もなかった。

 スティーブ・ジョブズのまねをしてジーンズに片手を突っ込み、うろうろしながら小さなサービスをプレゼンして、一部から嘲笑されていた。それが今では海外の会社に自社を40億円で売却した大物なのだ。まさに下克上の世界。一晩で形勢逆転もありうるこの業界において、相手が無名の新人であっても失礼な態度をとるのは後々命取りになる。

 まあいいや、佳子さん。心の中で私は呼びかける。大成功しても、こいつのところには出資しないようにしましょうね。今日出会ったばかりの彼女に、起業家の同期としての特別な絆を感じ始めていた。

 会場は再び暗くなり、次の起業家がゆっくりと、もったいぶった足取りでステージに現れる。異様な空気に、客席が静まり返った。

※LP:limited partnerの略。ファンドへ出資する投資家

文/関口 舞

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