経営者カンファレンスのピッチコンテスト。佳子さんのプレゼンのあと、人工知能博士の松原が壇上に立つ。異様な空気に、会場は静まり返った。
※【第3話】「業界内ヒエラルキーと下克上」
登壇した10社のうち、圧倒的な票差で優勝したのは人工知能博士の松原裕也だった。彼は登場したときから空気が違っていた。ぱっちりとした、燃えるような大きな目。女の子みたいなかわいらしい顔立ち。現れるなり、大きな声で彼は言った。
「今日はみなさんに新しい時代の始まりを見せに来ました」
そんな芝居がかったセリフでも、松原の不思議な声と自信に満ちた態度によって会場はすっかりひき込まれた。
「初めまして。ドクター・松原です。ぼくは東京大学の博士課程を修了したあと、人工知能の専門家として渡米、現地のマイクロソフト本社で研究職を務めておりました」
2013年当時、人工知能ブームが盛り上がりを見せていたこともあり、この輝かしい経歴に投資家たちは一斉に身を乗り出した。しかし松原の容貌は大学生くらいにしか見えず、若すぎて経歴は非現実的に思えた。ちょうどそのとき彼は言った。
「こんな若造が本当か? と思った方もいるでしょう。ご安心ください。ぼくはこう見えてアラフォーです」
えっ、と思わず声が出る。会場もどよめいた。「アンチエイジングで起業すればいいのにね」と後ろの席の2人組がささやく。審査員席のエンジェル氏もベンチャーキャピタリスト氏も面食らって笑っている。こうして完全に観客の心をつかんだあと、松原は「親和性人工知能エンジン」をプレゼンした。
「この会場、たくさん人がいますよね? 誰とお友達になったらいいか分かりますか? 分からないですよね。そんなときにこのエンジンがあれば、あなたにとってぴったりの人が見つかります。趣味が同じ、出身地が同じ、そんな簡単なことから、無自覚な価値観までも」
それは機械学習を活用したマッチングAIシステムだった。ユーザーが入力したデータを元に、親和性が高そうなユーザーをグループ化して提案する仕組みだ。彼はモニターに掲示した資料でそれを流ちょうに説明していった。
しかしプレゼン時間も残り1分というところになって、松原は急に下を向いて沈黙した。会場が緊張する。恐らく5秒くらいだったと思うが、それはとても長い時間に感じられた。松原は顔を上げた。頬は真っ赤で、目には涙が浮かんでいた。「ぼくは………」と彼は言った。そこでまた3秒置いてから、叫んだ。「ぼくは、孤独な人をなくしたい! いじめをなくしたい! このエンジンで、世界中の誰もがパートナーを見つけられる世の中を作りたい! 」
会場はスタンディングオベーションとなった。私も感動したが、ショーのように場を操る彼の姿をどこか不気味にも感じていた。
「先日は2億円の資金調達お疲れさまでした」
「なんとかPMF※ が達成できたので、今後はCPI※ を最適化してDAU※ を増やすことに注力します」
夜の会食ではそんな会話が飛び交っていた。私は下唇をかんで口角を上げ、手に持ったおしぼりを机の下で引っ張ってぼろぼろにしていた。おしぼりの繊維に爪が食い込み、力を入れすぎて指先は白い。もつ鍋屋の個室には9人の投資家や起業家、謎の関係者がいて、女性はまたしても私だけだった。もう夜の12時をまわっていたが、誰も帰る気配がない。
この会食が始まってから私の事業の話ができたのは最初の1分だけだった。自分がもっと実績のある起業家だったら? もっとコミュニケーション能力があったら? もう少し丁重に扱われたに違いない。本来であればこの会に釣り合わない私がきっと、加賀美の連れてきた女性だからと、別枠みたいに同席を許されているのだと理解していた。
こんなとき前職の広告業界であれば、良くも悪くも性別で注目されて話題の中に入れてもらえるだろう。しかしこの業界の人々は、興味のないものには本当に無関心で、ただ放置する傾向にある。彼らのそんなところが好きだからこそ、仲間に入れないのが寂しかった。しかしこの状況も、自己責任だ。こういった考え方について、昔別れた彼氏からよく注意されたものだった。
「そんなになんでもかんでも自分を責めるのはよくないよ、もっと自信をもって」と彼は言ってくれた。 彼の言うことは正しいが、少し違う。『自己責任だ』という思考の癖は、決して自信がないからじゃない。逆に言えば『すべては自分の力で変えられる』という、私の信念だ。
文/関口 舞