福岡で出会った人工知能博士の松原と、東京で再会。彼と一緒にベンチャーキャピタルを訪問する。

※【第7話】「社長と会社の口コミサイト」

 東京に戻ってすぐに松原と会い、私たちは改めて意気投合した。

 「システムづくりは得意でも、それを広めるためのアイデアが不足していたんです。あなたと組んだらお互いが得意分野を発揮して、ティンダーを超えるサービスがきっと作れるはず」と彼は言った。

 ティンダーはカリフォルニア発のデートアプリだ。顔写真を好き、嫌いと左右に振り分けていく体験の斬新さで、当時世界に5000万人のユーザーがいた。

 私たちは数十万円ずつ出し合って一緒に会社を作った。

 松原と私が揃ってベンチャーキャピタルを訪問すると、今までとは打って変わって、彼らには大歓迎された。福岡ではずっと駆け出し扱いだった私は、松原のプレゼンのおかげであたかも「優れたアイデアをもつ気鋭のクリエイター」のような見方をされ、そこに「アメリカ帰りの天才人工知能博士」の組み合わせとなれば出資希望者に困るようなことはなかった。結果、4社のベンチャーキャピタルに出資を打診され、松原は彼らと条件を諸々調整し、最終的にそのうちの3社から1000万円ずつの出資が決まった。

ベンチャーキャピタルを訪問

 あまりにも順調で、信じられない気持ちだった。資金関係は松原に一任していた私は、それでも結果を聞いてある疑問が浮かんだ。

 「あれ、この会社はなんで断っちゃったの?」

 業界でも有名な1社がそこに含まれていなかったのだ。

 「ああ、君のことを馬鹿にした発言をしていたからね」

 なんでもなさそうに松原は言う。

 「『繊細そうだし、この業界じゃやっていけないんじゃないか』って。今ならまだ間に合うから、別の共同創業者を見つけたほうがいいですよって言われてさ。まあそれで断ったんだよね」

 全身の血が熱くなるのを感じた。

 「そんなふうに思われているなんて……」

 「まあ放っときなさいよ。どうだっていいんだから、そんなこと」

 「ナメられたくない。馬鹿にされて悔しい」

 私は怒りと情けなさで震えていた。松原は天才だが共感能力が極端に低く、そんな私を見て楽しそうにアハハと笑った。

 「そんなに腹が立つものかね。人間って、おっかしいねえ」

 松原はいつも、自分だけが人間以外の生き物であるかのように話した。

 付き合いの中でだんだん分かってきたことだが、彼はいわゆるサイコパスに近い人格をしていた。人間を含む生き物全般を単なる研究対象として見ているようなところがあった。何があっても動じないのに、車の高級スピーカーでチャイコフスキーのオーケストラを聴いているときだけはぽろぽろと涙を流した。

 ともあれそんな彼と私は晴れて3000万円を受け取った。みずほ銀行のATMで通帳に記帳をすると、そこには明確に「30,000,000」と数字が並んでいた。それは当然ながら初めて見た額で、ほとんど松原の実力によるものだと分かってはいたものの、どうしても誇らしい気持ちになった。

 私は家に帰って自分の会社員時代の預金通帳を眺めた。あと10万円しかない。だけどこの日の嬉しさの思い出に何かを残したくて、新宿の百貨店に向かい、前から憧れていた3万円の浴衣を買った。あじさいをあしらった、水色と紫のグラデーションの浴衣だった。

水色と紫のグラデーション

 家に持って帰ってから、着る予定がないことに気づいて笑ってしまった。白い家具ばかりの殺風景な部屋にそれを置くと、本当にそこにあじさいが咲いているみたいだった。

文/関口 舞

※【第9話】「元不登校女子、起業家になる」へ続く。