前向きに検討が進んでいるはずだった大手ベンチャーキャピタルから出資を断られ、いよいよ資金繰りに行き詰まった私と松原。既存投資家に延命措置を相談する。

※【第12話】「資金繰りと神頼み」

 翌日、私たちは恵比寿の投資会社の大きな会議室にいた。重苦しい空気の中、9人がそこに集まっていた。彼らは去年の秋に我々に出資をした既存投資家の社員や役員で、いよいよ会社がまずいとなって、ようやく重い腰を上げて対策を練ることになったのだ。普通はリード投資家(※)がこのような責任を進んで負うのが業界の慣習だが、今回は出資金額がどこも対等な配分だったこと、何を言ってもどこ吹く風な態度の松原が扱いにくいこともあり、我々はなんとなく放置されていたのだった。

9人が集まっていた
9人が集まっていた

 中でも一番責任を持って動いてくれた伊坂さんが口を開いた。

 「まさかあれだけ検討が続いていて、急にはしごを外されるとは思いませんでしたね」。昨日の投資会社のことを言っていた。「早急にどこか見つけなければ」

 「伊坂くんが担当者を紹介したんだよね? 相手の名前は?」伊坂さんの上司が言った。

 「早川さんと瀬川さんです」

 「だめだめ。あんな若手じゃ。大きな会社ほどねえ、決裁権のある役員レベルの担当者に最初からアプローチすることが重要なの」

 「すみません」。伊坂さんは不服そうだった。「じゃあ紹介してくださいよ」と松原が言った。「僕らは素人なんだから、最初に教えてもらわないと分からないですよ。プロダクトに集中する時間もなくなるし、本末転倒だ」

 私はこの会では、不甲斐ない自分たちの状況を責められている空気を感じていたし、申し訳なさで恐縮して小さくなっていたが、松原は違った。このような状態になったことを、彼らのせいにしているような響きさえあった。

 「こうなったら決裁権のある担当者をどなたか紹介いただくか、もしくはみなさんが追加で出資してください」。松原は堂々と言い放った。

 「松原さんさあ、それはないですよ」。苦笑いしながら一人が言う。「だってぶっちゃけ、ユーザーが減っているんでしょう? 落ち目のサービスに出資したい人なんかいませんよ」

 「最初からホームランを打てるわけがないでしょう。打席に立ち続ける必要があるんです」。松原が大きな声でそう言うので、「それはそうですけど……」と彼は黙ってしまった。

 そして私のほうを見て、「あなたはどう思っているんですか」と言った。その場の目線が一気にこちらに集まってくる。私は息が詰まるような気がした。

 「そうですね、今後はユーザーが定着するよう仕組みを整えて……」

 「だから、そのために具体的に何をするつもりなのかって聞いているんだよ」。彼は松原に言いにくいことを私に言っているようだった。「このままがんばったってどうせダメなんじゃないのかな」

 「じゃあピボット(※)しましょうか?」。松原が言う。「それこそ、完全にまた振り出しに戻りますよ」

 「まあまあ、ここは協力しあって乗り越えましょうよ」。業界の重鎮でもある村上さんが言うと、一同は少し落ち着きを取り戻した。結局、新規投資家の出資が5月までに決まらない場合、伊坂さんと村上さんの会社からそれぞれ150万円ずつ、計300万円の追加出資で延命措置を取ることで、一旦話がまとまった。せいぜい1~2カ月くらいしかもたない額だ。

 初回の資金調達では各社1000万円でも2000万円でも進んで出したがったのに、今はこの額ですらお互いになすりつけ合いのような空気となった。ここで謝ったり、お礼を言ったりしてはいけないと、分かっていた。期待に応えられていないという悔しさと悲しさが表情に出ないように、私は努めて背筋を伸ばして目線もまっすぐ前を見ていた。

背筋を伸ばして、前を見ていた
背筋を伸ばして、前を見ていた

 問題は何も解決されていないが、解決期限が引き延ばされた。この日、松原は別の打ち合わせがあり日比谷に向かい、私は一人でオフィスに戻った。そして投資家の一人の態度を引きずっていた。あのようなことは一度や二度ではなかった。松原に対して向けることができない感情を、代わりに私に向けてくる人は多い。

 切り替えなければ。

 そう思って深呼吸をする。

 パソコンを開き、ユーザーからの問い合わせメールに丁寧な長文を書いて送信する。社員はエンジニアだけだから、こういったユーザー対応などの雑務はすべて私の担当だった。

 そしてこの仕事が私は好きだった。

 それが苦情だとしても、このサービスを使って何かを思い、考え、伝えようとしてくれている。本当に心を込めてメールを返すから、相手からも感謝の返事が返ってきたりすることもあった。以前苦情を送ってきた人が、メールのやりとりの後に私たちのアプリをツイッターで宣伝してくれたこともある。

 デスクのモニターの隙間から、にょきっと腕が伸びて、チョウさんが丸いものを差し出した。

 「チョコ食べな。そろそろお腹が空く頃でしょう」

 「ありがとうございます。よく気が付きましたね、確かにお腹ぺこぺこでした」

 チョウさんは時折こうしてお菓子をくれる。私はそれを受け取って食べた。中にとろりとした柔らかいものが入ったおいしいチョコだった。チョウさんの優しさとチョコの甘さがじんわりと染みた。私は気が緩み、つい愚痴を言った。

 「ねえ、今日投資家の一人に、ナメた態度取られたんですよ」

 「まじっすか」。コウさんがこちらを向いて笑う。

 「ナメさせとけばいいじゃないですか、いずれ見返すんだから」

 彼はいつも飄々(ひょうひょう)としていて、まるで他の星から地球に観光にでも来ているような、出来事すべてをおもしろがっているようなところがあった。そういうところをいつも羨ましく思っていた。

 「でも調達は大丈夫そうなんですか?」。カズキさんが心配そうにこちらを見て言った。ずっとそのことを心配していて、聞くことを今まで遠慮していたような響きがある。彼も松原に言いにくいことを私に言ってくる人の一人だ。しかしそれは投資家の場合と違い、単に言いやすいからではなく共感しあえるからであることが私は分かっていたので、ちょっと困ることも多かったけど、本当は嬉しかった。

 「とりあえず2社が追加出資してくれることになりましたよ。額は調整中だけど、なんとかなりそうです」。調整中というのは本当だったが、約300万円というだいたいの目安はあえて伏せた。

 「よかったあ」。カズキさんはそう言うと、ふうとため息をして椅子に深くもたれかかった。彼らのような優秀なエンジニアはこの業界ではスターのような存在で、今の会社が潰れても、はるかに良い条件でいくらでも転職が可能だ。それなのにこうして会社のことを一緒に心配してくれて、ここで一緒にがんばっていこうとしてくれている、そのことが嬉しかった。

 時刻は夜の9時で、私は今すぐこの4人でどこかに飲みに行きたいと思った。乾杯して、ビールをたくさん飲んで、思っていることを全部打ち明けてみたかった。

 しかし、それはできない。

 資金調達でもアプリの機能でも社員の働き方でも、なんでもすべての方針を松原と同じ意思で賛成してやってきたわけではなかったし、大幅に意見が食い違うこともあった。その度に私は基本的には松原の意見を尊重するようにした。

 トップの意見が割れている状態だと、どんなに小さな規模であっても、組織はうまくいかなくなる。これは共同創業者としての、私のプライドだった。松原の決定に、エンジニアの3人も、実は私も、反対なこともあった。そういう場合も私は松原と同じ意見であるように振る舞った。

 そんなとき、カズキさんと目が合うことが多かった。「きっと同じことを考えているのだろう」と、お互い明言はしないけれど分かっていた。コウさんはたいてい微笑んでいたし、チョウさんは高校時代の関係性からの慣習で、松原の決定を抵抗なく受け入れて自分の仕事に集中した。

 こうして私たちのチームは成り立っていた。

 だからもしも本当に心を開いて正直なことを言ってしまったら、そのバランスが崩れそうで怖かったのだ。私は一番身近にいる毎日会う彼らのことを、中学時代の憧れの先輩みたいに、いつも遠くに感じていた。


※リード投資家:資金調達ラウンドにおいて、中心的な役割となり契約条件等をまとめるベンチャーキャピタルまたは個人投資家のこと。リードインベスターとも呼ばれている。

※ピボット:英語では「Pivot」。本来「回転軸」を指す。ビジネスシーンにおいて「方向転換」「路線変更」といった意味で使われている。

文/関口 舞