「先生は大変」教育業界はこのままでいいのか

 「学芸大に通っている周りの学生は、『子どもが好きだから、学校の先生になりたい』という人が多かったんです。それは素晴らしいことだし、先生を目指す基本的な動機だと私も思います。でも当時の私はこれといったアクションにつなげることはできませんでした。

 教員のなり手不足や業務量の多さによる長時間労働、『先生は世の中を知らない』という社会からの批判……。両親は学校の先生として熱心に働いていましたが、一方で、私は幼い頃から先生の大変さを感じていました。そうした教育業界にある現実的な課題をどうやったら解決できるのか、とモヤモヤしていました。大学で学ぶだけでは解決策は見つからず、『教育業界はこのままではだめだよね』と周囲に投げかけてみたこともありましたが、周りの学生は『何言っているの?』という反応でした(笑)」

教員を諦めて就職 模索して遠回り

 子どもの頃から何となく教師を目指し、学生時代に教育業界の課題を感じていたものの、その解決のために、自分がこれから何をすべきなのか、広く世の中を見て、模索する必要があると考えた金谷さんは教師にはならず、就職活動をし、民間企業に就職した。

 「当時は、学校教育のために何かしたいという思いはありましたが、自分にはまだまだ力がないことを実感していました。シリコンバレーに滞在したこともあり、『ITを活用すれば、巨大な教育業界をアップデートできる!』と大きな野望を抱いていましたが、一人では何もできないですし。そのまま、大学を卒業して学校の先生になるイメージもつかめず、自信がなくて……」

 金谷さんが就職先に選んだのは、教育業界ではなく、医療業界だった。

 「同じような業界構造を持っていると当時考えていた業界で学ぶ必要があると感じ、医療業界への就職を決意しました」

 「医療業界も教育業界も課題が山積しているところが似ているとぼんやり感じていたんです。同じような構造を持っている業界の中で働けば、教育業界の課題を解決するヒントが少しでも学べるのではないかと思って、民間企業に入ってみました。でも、結局、1年で退職。

 民間で働く中で新しく事業を作るときにはどうしていけばいいかなど、多くのことを学ばせてもらいましたが、恥ずかしいことに、気持ちのどこかで仕事をやりきれていなかったんです。今、振り返ると、当時は自分の使命を模索しながら、ある意味『勉強』をするためだけに仕事をしていたので、不完全燃焼とも言える状態でした。改めて、自分が何を実現したいのか考え直し、初心に戻って都内の公立小学校の先生になりました。本当、揺れていますよね(笑)」