doors世代の起業家たちは、いつ事業のアイデアを考え、どうやって起業までたどり着いたのか。何につまずき、何が転機となったのか。起業の先にどんなドアを開こうとしているのか。さまざまなフェーズに立っている注目の起業家を取材する連載「起業 NEXT doors」。今回は、胸が大きな女性のためのアパレルブランド「overE」を、アパレルの知識ゼロから立ち上げて運営する和田真由子さんに話を聞いた。

引きこもりを経て、ADHD生かし逆転起業(上)
引きこもりを経て、ADHD生かし逆転起業(下) ←今回はココ

 和田さんは大学に進学してすぐ人間関係につまずき、引きこもりになったが、スポーツ選手の追っかけをしていたことから、大学を4年で中退すると同時に、スポーツ雑誌の編集者兼ライターとして就職を決めた。そこで誘われて参加した東京マラソンで、「自分の個性を生かして、もっと人生にチャレンジしたい」と奮い立ち、起業を決意したという。

「走っていてすごくハイになっていたのかもしれないけれど(笑)、『あ、起業しよう』ってアイデアが浮かんだんです」――マラソンを走りながら起業を決意した和田真由子さん
「走っていてすごくハイになっていたのかもしれないけれど(笑)、『あ、起業しよう』ってアイデアが浮かんだんです」――マラソンを走りながら起業を決意した和田真由子さん

 和田さんは決意したその足で、すぐ埼玉県にある「創業・ベンチャー支援センター埼玉」が開催する起業セミナーに通い出した。事業のアイデアはいくつも考えたが、実際に起業するまでには1年かかっている。

起業セミナーに通っただけで満足感

 「起業セミナーに通うだけで満足して、『やった気になる』自分がいました。アパレルをやりたいとアイデアが浮かんでも、服の作り方について勉強したこともなかったので、その知識がないことを言い訳にして、先延ばしにしていたんです」

 だが、これ以上先延ばししていてはダメだと意を決して、2015年末に勤めていた編集プロダクションを退社。起業資金をためるために、高給の不動産投資会社に転職するも、「ブラックな働き方の職場」で適応障害を起こしてしまい、自主退社を迫られる。知り合いの弁護士に相談してこれは解雇扱いだと主張し、25⽇分の給料と解雇予告金の1カ月分の給料、失業保険を半年間受けることができたが、適応障害発症後、引きこもり状態が「再発」してしまった。

<和田真由子さんの起業5つのdoors>1.「うまくいかない自分を変えたい」強い思い/2.引きこもり経験で得た、失敗を恐れない行動力/3.クラウドファンディングで地道にニーズ調査/4.信頼を積み上げて数社から融資、事業拡大/5.「現実」を見極める冷静な経営者視点