留学資金を貯めて、社会人留学へ

 JAバンクでは窓口業務や小切手の管理、保険の入会手続きなどの業務に当たった。だが、留学について諦めたわけではなかった岩崎さんは、忙しく働く中でも、英語の勉強を続けた。

 「英会話教室以外で必死で探しました。そうしたら、たまたま家の近くに個人教室を見つけたんです。そこで、週3回、仕事終わりの2時間、マンツーマンのレッスンに通いました。当時は、収入の大半は留学資金のために貯金し、空いている時間があればこの教室での学びに費やしました」

 3年通った英会話教室で岩崎さんは英語の基礎力を確実に身につけた。留学資金も貯まり、JAバンクを退職して、再度留学にチャレンジすることにした。

 「規模が大きく、英会話教室の先生にも勧められた米国サンディエゴ州立大学に留学を決めました。中でもビジネスプログラムの多さが魅力的で、1年間の留学中は、企業訪問などのプログラムを通してビジネス英語も学びました。

 現地の学生とルームシェアをして、一緒に料理をしたりゲームをしたりして、苦手だった日常英会話も、生活を送るのに困らない程度に上達しました」

事故、親の病気…想定外の転機で帰国

 しかし、念願の留学で英語力を上げ、海外での生活になじんできたばかりのとき、岩崎さんは追突事故に巻き込まれてしまう。

 「ショックで、一時帰国をすることになりました。当初は少しだけ日本に帰ろうと思っていたのですが、その時、母親がくも膜下出血になってしまって……。このままずっと新潟にいたほうがいいんだろうなと思い、留学を切り上げて帰国することに決めました」

 そして、地元で仕事を探し、大手外資系保険会社の事務職に応募した。

地方での暮らし「人生終わった」

 地元新潟への帰国と就職を早々に決意した岩崎さんだが、実は、心の中で「人生が終わったと感じていた」と話す。

 「大学時代に華やかな東京暮らしを経験し、留学もしていたため、当時の私の中では、地方での暮らしがネガティブなイメージだったんです。仕事を探しても入りたい会社がほとんどない。結局、入社した会社の仕事に対してもやる気が出なくて。私はこのまま適当に生きて、地元で結婚して、子どもを育てて、死んでいくんだなって、将来にいいイメージが湧かず、マイナス思考になっていました