「こんなに面白い会社があるんだ」

 「学生時代からメディアが大きな影響力を持っていることに興味を持ち、メディアや広告の仕事に憧れていたんです。でもその当時は人気の業界に入れるわけがないとあきらめていました。社会人になり、当時、東日本大震災で閉塞的な状況でしたが、こんなに面白い会社があるなんてと驚きました。一方、私はやりたいことがなくて、親の顔色だけうかがって、つまらない仕事をしていると感じてしまって……」

 目の前の仕事にやりがいを感じることはできなかった西山さんだが、販売員として成果は上げていった。

会社の評価と市場価値との乖離を感じた

 「私の成績が1位になったこともありました。けれど、昇進などは社内でうまく立ち回ったり、上司をヨイショしたりして決まっていくという現実を見ました。私は会社のために働いているわけではなくて、自分の人生のために働いているのに、本当につまらないなと感じてしまって……。1年で辞めました(笑)」

 そして、東京から地元の札幌市に戻った西山さん。2カ月間のニート生活で自分を見つめ直した。

 「地元に帰ると居心地があまりによくて、『これでいいんだっけ?』という危機感を覚えました。時間は有り余るほどあったので、冷静に自分は何がやりたかったのかを改めて考えたんです。そのときに思ったのがPARTYのように、『人をワクワクさせるような人になりたい』ということです。でも何の実績もない自分はPARTYには入れない。 そこで、情報を使って人をワクワクさせるという似たような経験ができそうなPR会社に入りました。忙しいPR会社で自分の限界まで働いてみたいという気持ちもありました

 西山さんがPR会社に入社してまもなく東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった。

「自分の仕事をやっている感」がない

 「大手不動産会社のプロモーションを一緒にやったり、メディアに向けて『取材しませんか』と電話したりと地道な仕事をしていました。3年が経過したときに、『自分の仕事をやっている』感がないと思ったんです。クライアントの指示通りに動いていて、自分の実績や能力だと言えるものがなかった。もっとじっくりと腰を落ち着けて一つの会社と向き合おうと思いました」

 ゲーム会社に転職した西山さん。3カ月後、偶然PARTYがPR職を募集していたのを見つけた。転職したばかりということもあり、気持ちは揺れたが、憧れの会社に挑戦する心を捨てきれずダメ元で応募。トントン拍子に入社が決まった。

 「PRをしなくても話題になる作品ばかりを作っていたPARTY。なぜPR職が必要なのか、自分が入社したら何ができるのか、面接では質問攻めしました

「PARTYに採用されたのはダメ元でバカみたいに挑戦しようとする私みたいな人が少なかっただけです(笑)」
「PARTYに採用されたのはダメ元でバカみたいに挑戦しようとする私みたいな人が少なかっただけです(笑)」