選ばれるんじゃない、選ぶんだ

性別にも何にも縛られず、誰にだって思うように生き方を選ぶ権利がある
性別にも何にも縛られず、誰にだって思うように生き方を選ぶ権利がある

 最近は「個」の時代といわれる。男とか女とか関係なく「私」の人生を楽しめばいいと。その考え方には大賛成。私も20代前半の頃、口癖のように「男とか女とかじゃなく、ニシブマリエなの」と言っていた。今思い出すと気恥ずかしさが蘇るが、でもそういうことですよね。

 自分の在り方が分からないうちは、「女らしさ」や「男らしさ」みたいな世の中の基準に合わせればいい。生き方に迷っている人にとって、既にあるフレームワークはきっと道しるべになる。でも、決められた何かに支えられて生きるより、自分で在り方を選ぶほうが、何百倍も楽しいはずだと私は信じている。

 でも、今のご時世、「個」で性差を突破できるのは、たぶんパーソナリティが強めだからだ。

 強めであることで、多少の発言力や自分らしく振る舞う勇気を持てたとしても、履歴書では「女」。世の中の仕組みの中に入っていこうとすると、大学は男性を優先して入学させたいと言うし、企業の人事担当者は多少ゲタを履かせてでも男性を採用したいと言うし、由緒正しき家柄に生まれた(嫁いだ)女性は男の子を産むために頑張らなければならない。

 「個」としての努力も大切だが、それを隠れみのに、もっと大きな「仕組み」や「慣習」の問題から目をそむけるのは間違っていると思う。私たちのような個人ができることは、声を上げ続けること。世の関心が高まれば、ニュースサイトのトップにも載るし、ニュース番組でも報道される。少しずつでも、ちゃんと世の中は変わっている。

 神経がいい感じに図太い人や、困難に立ち向かっていける気丈な人だけじゃなくて、クラスにいた声の小さなあの子も、同性が好きなのに言い出せないあの子も、思うように生き方を選ぶ権利がある。

 選ばれるんじゃない、選ぶんだ。

 「選ぶ」女性が増えるように、私は小さな怒りをいちいち言語化していこうと思う。

文/ニシブマリエ 写真/PIXTA