ライター・ニシブマリエが「性」についてつづる連載。今回のテーマは「『嫌よ嫌よも好きのうち』という性犯罪を生みかねない言説をいいかげん抹消したい」という煮えたぎる思い。

 空腹だからといって人から食べ物を奪うことは犯罪、住む場所がないからといって他人の家に無断で上がり込むのも犯罪。それに疑問を抱く人はほとんどいないのに、性犯罪となるとどうして、加害者側を擁護するような意見が目立つんだろう。「男は生物学的に……」だとか「誘うような服装をしてたんじゃないか」とか。

 よく加害者の口から飛び出すのは「合意のうえだと思った」。この言葉を聞くたびに、他人事じゃないなとぞっとする。この認識のすれ違いは、凶悪な強姦事件じゃなくても、私たちの何気ない生活の中にたびたび出現しているものだから。

ケース1 合コンの帰り道にて

 「マジで、やめてもらっていい?」

 合コンの帰り。私の隣をキープしていた一人の男性が、手をつなごうと様子をうかがったり、勢いに任せて肩を抱こうとしたりする。マジで、やめてもらっていい? と息巻いても、どうしてか私の声は届かない。あげくには帰宅しようと私が止めたタクシーに、乗り込もうとしてくる始末。

 こんなに「嫌オーラ」を出していても伝わってないのだ。あるいは、強気で攻めることで私の「嫌」が好意に変わると信じ込んでいたのか。彼は過去にこういった手口でセックスに持ち込めたことがあるのかもしれない。私のはらわたが煮え始めている状況でさえも、私の抵抗は彼の中で「嫌よ嫌よも好きのうち」に変換されていたのだろう

 合コンやマッチングアプリで知り合うような関係性の薄い相手であれば、連絡先をブロックして、友達にぶちまけることである程度、怒りは成仏させられる。

 けれども信頼していた人に同じことをやられると、私はひたすら悲しくなる。私の中から、私がすーって抜けて、空っぽになっていく。