突然のがん宣告、目の前が真っ暗に

 がんを患ったのは今から11年前、24歳の時でした。仕事が楽しく、毎日が充実して忙しく過ごしていたので、「胸にしこりがある」と思っても、なかなか検査に行きませんでした。そんな中、日々確実に存在感を増す胸のしこり。さすがに不安に思って母に相談し、せかされるように病院に行きました。そして、突然のがん宣告。あまりに予想外のことだったので、カラフルだった世界が突然真っ暗になり、病院で泣き崩れたことだけは覚えています。

 「なぜ私ががんになったのか」という困惑と、「仕事、親孝行、結婚、出産、世界一周――やりたかったことが一つもできていないまま死にたくない」という強い思い。このまま人生を終えるかもしれないと思うと、後悔してもし切れませんでした。なんとか必死で立ち直り、がんの治療法について情報を収集したり、セカンドオピニオンを受けて意見を求めたりしながら、治療法を決めていきました。

記者時代は多忙で、自分の健康をおもんぱかる余裕がなかったという
記者時代は多忙で、自分の健康をおもんぱかる余裕がなかったという

無理をせず人に頼ることがあってもいい

 その後休職し、右胸摘出の手術と抗がん剤の投与による治療を始めました。手術は順調に進み成功したのですが、体の一部を失ったという喪失感や抗がん剤の副作用には想像以上に苦しめられました。「神様は乗り越えられない試練は与えない」という母の言葉を思い出しながら歯を食いしばってみたものの、容赦のない吐き気や倦怠感が押し寄せてくる。精神的にも「自分はもう死ぬんだ」と追いつめられる日々。不安定な気持ちから脳が機能不全を起こし幻覚や妄想などを引き起こす「せん妄状態」に陥り、周囲の人に電話をかけまくり自分の幻想を話すということを繰り返してしまいました。

 ようやく治療がひと段落ついてからも、せん妄状態に陥っていた当時の自分を思い出して、他人と関わることに不安を感じ、外部との接触を断ってしまう時期がありました。

 そんな日々を救ってくれたのが、家族や友人たちでした。代わる代わる誰かが私のそばで過ごしてくれて、弱っている私を支えてくれました。気分を変えるために部屋の模様替えを提案してくれたり、散歩に連れ出してくれたり…。あの時にそばにいてくれた人たちには本当に感謝してもし切れません。心がつらくて自分ではどうにもできないときは、無理をせず、強がらず、周囲の好意にとことん甘えてもいいのではないでしょうか。