「がん友」が心の支えに

 そして大きな一歩を踏み出すきっかけをつくってくれたのは、同じがんを患った経験を持つ「がん友」でした。友人の紹介で同じ時期に乳がんになった女性と知り合い、頻繁に会うようになりました。最初は互いに慰め合い、ただ時が過ぎるのを待って途方に暮れていただけでしたが、同じ境遇の人にしか分からない悩みや不安、悲しみを共有できることがありがたかったです。そして社会と接点を持つために動きだしてみようという気持ちになりました。

 がん友とは一緒にがん患者と家族が集まるイベントに出てみたり、体を動かすためにヨガに行ってみたり……。少しずつですが、社会復帰の足掛かりがつかめたような気がします。

 ただ、その過程で改めて大きな課題に直面します。がんの治療法に関する情報が玉石混交だということです。イベントでは怪しげな健康食品を売りつけられたり、宗教の勧誘などをされたりしたこともありました。健康な状態ならスルーできそうな情報も、「助かりたい」「生きたい」と思っている状態のときはわらにもすがる思いで飛び付いてしまうものです。

情報に振り回される危機感

 実は私自身もイベントである高額な民間療法を実施しているクリニックの院長に直接説得されて、取り入れたほうがいいのではと思い、主治医に相談したことがあります。結果的には「その治療法に科学的根拠はない」と言われ、踏みとどまりましたが。記者の仕事は玉石混交の情報のなかから取捨選択して、取材によって掘り下げ正しい情報を届けることです。その立場にいる私ですらそうなのですから、怪しい情報に振り回されてしまっている人も多いのではと強い危機感を持ちました。

 そんな問題意識を胸に、8カ月の休職期間を経ていよいよ職場復帰をすることになります。通常、疾病休暇明けは本社のバックオフィスに復帰するのですが、私の希望で休職前と同じ記者として働くことになりました。がんに関する情報を伝えたい、そしてがんで苦しんでいる人を一人でも減らすために何かしたい。強い思いを抱いていました。

後編はこちら ⇒ 私の道はつながっていた――がん患者を支援したい

取材・文/飯泉 梓(日経doors編集部) 撮影/小野さやか

鈴木美穂(すずきみほ)
鈴木美穂(すずきみほ) 1983年生まれ。2006年慶応義塾大学法学部卒業後、日本テレビに入社。報道局社会部や政治部の記者、「スッキリ」「情報ライブ ミヤネ屋」ニュースコーナーのデスク兼キャスターを歴任。著書に『もしすべてのことに意味があるなら』(ダイヤモンド社)がある