20代半ばで、1500万ユーザーを獲得したウェブサービス「#2015bestnine」を企画・リリースした、プールサイド代表取締役社長の関口舞さん。「IT起業家」と聞くとITサービスに興味を持つ人をイメージしがちですが、関口さんはもとは「文学少女」。そんな彼女の、就職からのフリーランスに踏み切るまでのキャリアを追いました。

1回 フリーランスになる怖さは1ミリもなかった ←今回はここ
2回 23歳で起業 アプリ大ヒットの裏で収益化に苦しむ

会社名や肩書に頼らず、出産後も働き続けたい

 私には子どもの頃から、「20代のうちに特定のスキルを身に付けたい」という思いがありました。結婚や出産を期に仕事を辞めたという話を親や親と同じ世代の人から聞く機会があり、「特定のスキルがあれば、いったん仕事を辞めることになっても、仕事に復帰しやすくなる」ということもかねてより考えていました。

 私にとって「職業」とは、会社名や肩書がなくても独立して勝負できるよう、スキルを身に付けた状態のこと。人から「○○社に勤めています」と言われるより、「○○のスキルがあります」と説明されるほうが、よっぽどその人の仕事ぶりを想像しやすいと思うのです。そして、何ができる人なのかが周囲に理解されていないと、いざというときに必要とされないと思います。私はそんな不安もありました。

 もし母になれば、妊娠などによる身体的な制約があったり、育児に時間を取られたりして、働く時間は減るかもしれない。だからといって、「母になったら以前のようには働けない」という発想は私自身にはありませんでした。もちろん専業主婦の方も尊敬していて、その道を選択する人生も素晴らしいと思いますが、いずれにしても、自分の人生は自分で決めたいと思っていました。

 私は働き続ける人生を選びたかったので、何かしらのスキルを身に付けたいと必死で思っていました。でも、まさか自分が後に「PRスキル」を身に付けることになるというイメージはありませんでした。子どもの頃から読書好きで、中学生時代には「文章を書くスキルを身に付けて、小説家や脚本家になろう」と思っていました。今とはまったく路線が違いますよね(笑)。