現在、自身で立ち上げたコミュニティメディア「NEXTWEEKEND」を運営し、ライフスタイルプロデューサーとして活躍する村上萌さん。何者かになりたくてモヤモヤしていた学生時代、新卒でフリーランスとなり、試行錯誤していた時期を振り返りながら、起業するまでの道のりを聞きました。

前編 もがいて「キラキラ」を手放した、糸口が見えた ←今回はここ
後編 理想の生活の中に「私らしい仕事」がある幸せ

若さ・大学生・ミスキャン―これで評価されたくない

 実は私、大学を卒業してから、しばらくニート状態でした。同級生のほとんどは社会人として歩み始めているのに私は何をやっているんだろう……と焦りでいっぱいでした。

 私は中高生の頃から、ずっと夢がないことがコンプレックスだったんです。思春期は皆、どんな働き方をしたいかよりも、何になりたいかを考えますよね。自分にはそれがなく、恥ずかしいとさえ思っていました。大学には「ここで何か見つかるかもしれない」「運命的な職業に出合えるかも」と大きな期待を胸に入学しました。

 学生時代は、とにかく何者かになりたくて、起業家セミナーやイベントなど積極的に参加しました。でも、成功者の話を聞いても、輝かしく見えるだけ。上の世代の方に「私たちの時代は~」なんて話を聞いても、全然ピンとこなくて、ロールモデルと思える人には出会えない。それでも答えはどこかにあると信じていたので、あれかな?これかな?って毎日探しながら過ごしていました。

 ミスキャンパスに選ばれたことをきっかけに、民放TV局の情報番組に学生リポーターとしてレギュラー出演いただきました。とても貴重な経験ではありましたが、心の中には焦りがありました。レギュラー出演できたのは「若い大学生」だから。「村上萌」としてではないと思っていたから。

 メディアの仕事以外でも、「若いのに頑張っているよね」「ミスキャンなのに仕事にアツいよね」と言われることも多くありました。「~なのに」の前に入る若さや肩書。そんなすぐ消えるもので評価されていることに危機感を抱いていました。

「友達には『どうしてそんなに生き急ぐの?』って言われるくらい活動的でした」
「友達には『どうしてそんなに生き急ぐの?』って言われるくらい活動的でした」