「中国に向けてビジネスをしたい」 独立の原点

 次の転職先は、映画を活用したプロモーションが強みの広告宣伝会社。周りの先輩や後輩にも恵まれ、とても楽しく仕事をしていました。そこでは、クライアントへプロモーションの企画を提案し、実際に企画を実施するまで、ワンストップでディレクションしていました。場数を踏めば踏むほど、成長を感じられる環境でした。

 当時、私にはやりたいことがありました。2008年に北京オリンピックがあり、2010年には上海万博が控えていた時期で、世の中は中国バブルの真っただ中。私が担当していた多くの企業さんも口をそろえて「中国で商品やサービスをPRしたい。中国の映画でタイアップ企画をできないか?」と言っていました。

 「中国展開のニーズがある」と確信していた私は、社長に中国への展開を提案しました。ですが、社長の答えは「中国でのビジネスは一切考えていない」。

 こんなにニーズがあるのに、やらないのはもったいない……。私は、自分で何か中国向けにPRができないか考えました。当時、私は就業後にたくさんの交流会へ顔を出すようにしていたのですが、ある交流会をきっかけに、華僑の人たちと仲良くなったんです。会社は中国に向けた企画実現の予定はない。でも、自分は独自で知り合った人たちのネットワークもあるし、イベントや記者発表会のノウハウもある。独立しても仕事ができるのでは? そう考えて、会社を辞めることを決意しました。

「起業したい」という思いが先ではなく、やりたいことを実現するための手段として、「独立」を選びました
「起業したい」という思いが先ではなく、やりたいことを実現するための手段として、「独立」を選びました

後編に続く ⇒ 震災でゼロになった仕事を必死に取り戻した

取材・文/浜田寛子(日経doors編集部) 写真/鈴木愛子