海外に向けて日本の商品や訪日観光のマーケティング・PRを手掛けるiNTO(東京・港)の代表取締役を務める小松崎友子さん。もともとPRの仕事をしたいと思いながらも、新卒で入った英会話学校では営業職で経験を積んだ。「本当にやりたいこと」を実現するためにキャリアチェンジをした経緯、そして独立後の失敗や成功、自身のモットーを聞いた。

前編 日本と海外の架け橋 会社で実現できず独立
後編 震災でゼロになった仕事を必死に取り戻した ←今回はここ

会社設立後、震災で仕事がゼロに…

 やりたい仕事を実現するために、2009年に3社目の広告代理店を退職しました。しばらくはフリーランスとして活動し、2010年10月にiNTO(イントゥ)を設立。

 ずっと実現したかった中国映画を使っての日本商品のプロモーションを手掛けるべく、たくさんの中国人映画プロデューサーとお会いしました。数多くの企画がある中で、日中合作映画『東京に来たばかり』(ジャン・チンミン監督)と出合い、北京のプロデューサーと交渉し、映画のタイイン・プロモーションをする権利を得ることができたんです。そして、2011年3月、東京と茨城で撮影を行うことが決まりました。

 そんな中、2011年3月11日に、東日本大震災が起きました。

 もともと出演が決定していた中国の女優さんが、出演をキャンセルされてしまいました。「もう映画の撮影はできないのではないか……」と、意気消沈。数件走らせていた他のPRの仕事も、すべてがキャンセルになってしまったんです。

東日本大震災が起き、タイアップ映画も、PRの案件もすべてが白紙になってしまったんです……

「世界に発信できる力を付ける」と決意

 震災が起きて仕事がなくなり、実家に戻って引きこもっていました。そして、震災のニュースを見ながらいろんなことを考えました。

 日本を大好きだと言ってくれていた華僑の友人たちは母国に帰国して行った。これから先また同じようなことが起きた時、日本は世界に取り残されてしまう。日本はもっと、世界に日本のことをPRしていかなければいけない。私も、その力を付けて貢献したい。

 中国映画を使っての日本商品のPRは、たくさんのやりたいことの1つで、「出来たら面白いな」という軽い気持ちで始めたに過ぎませんでした。ですが、その気持ちは震災をきっかけに、「必ずやり遂げなければいけない」という使命感に変わっていきました。

 一度白紙になってしまった映画の撮影は、監督のおかげで、2011年5月から撮影開始が決定。撮影まで約1カ月というタイミングでした。その間に、タイイン・プロモーションの企業を見つけるため、文字通り駆け回って企画を提案しに行きました。国内の清涼飲料水メーカーはほとんど周りました。

 最終的に、中国への商品PRに強い関心を持ってくれた大塚製薬とドン・キホーテが、映画タイアップに賛同してくださり、クライアントを見つけることができたんです。2カ月遅れてのクランクインとなりましたが、無事に映画が完成しました。

 映画『東京に来たばかり』は中国の31都市、3000スクリーンで公開されることが決まりました。と言うのも、主演は中国でも絶大な人気を誇っていた倍賞千恵子さんが務めていたんです。

 当時、中国のトップに立つ世代に倍賞さんの人気がとても高かったこともあり、現地の大手メディアから注目されました。北京で開催した記者発表会には、現地の大手メディアほぼすべてが参加。それがきっかけで、メディア関係者の知り合いやネットワークが広がっていきました。

 「これから中国でいろんなビジネスを展開できる!」と期待を膨らませていた矢先、次に新たな試練が待っていました。尖閣諸島問題が活発化して日中関係が悪化、それまで関係があった中国メディアの担当者とも連絡が付かなくなってしまいました。