高校入学と同時に単身上京し、ギャル雑誌『Ranzuki』の専属モデルとして活動していた鎌田安里紗さん。20代で、自然環境や生産者に配慮した服飾品を企画するエシカルファッションプランナーに転身した背景には、研ぎ澄まされた「主観」がありました。他人から向けられる目線や評価に左右されてしまう人が多い中、鎌田さんはなぜ自分の直感を信じることができたのでしょうか。

前編 鎌田安里紗 ギャルだった私が「エシカル」を選んだ理由
後編 鎌田安里紗が考える「自分らしさ」の研ぎ澄ませ方 ←今回はここ

「自分の感覚」に正直に動いた先に

 私がエシカルファッションに関心を持ったのは、何か一つの大きなきっかけがあったからではありません。最新の服を着てトレンドを発信していく雑誌やショップ店員の仕事は、むしろ「エシカル」とは真逆ともいえます。自然環境や生産者に興味のある人も周囲にはあまりいませんでした。それでも私がエシカルファッションプランナーになったのは、自分の感覚に正直に動いた結果だと思っています。

 もともと「海外」や「社会問題」への関心が芽生えたのは、中学時代に家族旅行でバリ島を訪れたときのことでしたね。旅行客でにぎわう観光地には物乞いをする子どもがいて、高級ホテルに面した道路には路上生活者がいる。当時の私にとってそのギャップが衝撃的で、何年たっても脳裏から離れませんでした。

 その後、モデルをしながら働いていた渋谷109のショップで洋服の企画やデザインを任されることに。生地を選ぶため、中国や韓国の市場へ買い付けに行きました。そこに並んでいたのは、「無限にあるのでは?」と思えるほど大量の生地。「一体どこで誰が作っているんだろう?」と気になりましたが、周囲の誰に聞いてもはっきりした答えは返って来ず……。生産者の顔が全く見えない状況に、なんとなく気持ち悪さを覚えました。

 モデルやショップ店員として日々触れている服は、どこから来ているのか。そんな素朴な疑問から、インターネットに思い付く限りのキーワードを入れて検索してみると、ファッション業界が自然環境に与える影響や、生産者さんに掛かっている負担など、さまざまな問題が見えてきました。そこでようやく、ファッションと社会の課題が自分の中でつながった感覚がありました。

 そして検索を続けるうちに、「ピープルツリー」というブランドに出会いました。このブランドは、生産者と消費者、双方の幸せを考えて、自然環境にも、生産者にも無理を強いることなく生産した商品を取り扱っています。その企業姿勢に引かれ、私は「ピープルツリー」の店舗に通いながらエシカルファッションについて勉強するようになりました。

中学時代に家族旅行でバリ島を訪れたとき、「海外」や「社会課題」への関心が芽生えたそう
中学時代に家族旅行でバリ島を訪れたとき、「海外」や「社会課題」への関心が芽生えたそう