コスメ、カラーコンタクトレンズなど女性向けのビューティーアイテムを扱うT-Gardenでアートディレクターとして活躍する貝塚文(あや)さん。デザイナーとして入社し、勤続14年目を迎えた今では、自社ブランドすべてのディレクションを担っています。「面白いからやっているだけ」と語るその背景には、20代の頃の挫折と葛藤がありました。

前編 パンクでロックな20代、自由の果てに得た仕事 ←今回はここ
後編 結婚、離婚、プチ鬱を乗り越えた先にあった「ときめき」

「クリエーターになりたい」。本心に蓋をして挑戦する前に諦めていた

 私は、自分の世界観を大事にするエンジニアの父と、社交的で快活に働く母の間に一人っ子として生まれました。父は、音響スピーカーのエンジニアでクラシック音楽や映画をはじめ、さまざまなカルチャーに精通している人。言葉のセンスも恰好良くて、すごくファッショナブル。私がクリエーティビティーや感性を大事にしたいと思うのは、きっと父譲りなのでしょう。

 美大へ進学したのもデザイナーになりたかったから。絵を描くのが好きで、子どもの頃はいつも金賞をとって褒められていました。でも、大学に入ったらそんな人ばかりが集まっている。自分よりも絵がうまい人が多く、挫折感を味わいました。大学4年生になっても就職活動をする気にならず、同級生が次々とデザイン事務所に内定していくのを横目に見ていました。

 この頃の私は、世の中を斜めに見ているパンクキッズ(笑)。「型にはまっている大人になんてなりたくない」と、とがっていました。大学卒業後もライブに通うのが日課で、フリーターの道を選択。ハンバーガーショップ、生活雑貨店、雑誌編集などあらゆるアルバイトをしましたが、どれもピンとこない。短いときには2日ぐらい働いてすぐ辞める、を繰り返していました。唯一、続いたのはアパレル販売員。洋服は大好きなので、当時から面白いと思うことだけは続けられたみたいです。

「大人になるのが嫌なんて、典型的な中二病っぽいですよね(笑)」

 それでも、いつも頭の片隅には両親の姿がありました。美大まで出してくれたのに、デザインに関わることをしていないなんて申し訳ない、このままではいけない。ずっとそんな気持ちにさいなまれていました。

 パンク精神という格好いい言い方で、当時は何事に対しても、挑戦する前に諦めていただけ。デザイナーになれず、でも他に何をどう頑張っていいか分からなくて、いつも斜(しゃ)に構えていました。傷つく人がいると分かっていても、自分が思ったことは何でも言ってしまう。人に嫌われたいわけじゃないのに、わざとキツい言い方をする。

 クリエーターとして「表現したい」自分をうまく表現できず、無意識にそんな態度をとっていたのだと思います。そんな自分と向き合うのは怖い、でも誰かに分かってほしくて恋愛に夢中になっていた時期でもありました。