一番の苦労は、営業部の立ち上げ

 一番苦労したのは営業部の立ち上げだった、と香南子さん。20代後半から30代の、ユーザーと同年代の女性スタッフがやる気に満ちあふれて営業チームに入ってくれるものの、結婚・出産を経て育児と仕事を両立できなくなり退社する。そんなケースが2件続いたのだ。

 その課題を解決するため、人繰りに余裕を持たせようと、3人だった営業チームの人員を4人に増やした。2018年には香南子さんの他に、外出担当3人、事務1人の5人体制に拡充した。さらには、顧客管理システムを導入したり、ウェブ上のスケジューラーを共有したりし、業務の効率化を図った。

 一番効果的だったのは、営業の事後報告をやめたこと。その代わりに、営業の事前打ち合わせを開始した。翌週回る得意先とアプローチ内容を事前に共有しておくことで、迷うことなく営業に打ち込めるようになった。

看板商品の1つ、IDケースとネックストラップ
看板商品の1つ、IDケースとネックストラップ

最新商品のアイデアを生んだのは内職スタッフ

 同社の生産体制には、地域に根ざした温かみがある。

 「横浜で製造販売を開始したときは母一人が商品を作っていたのですが、注文が増えるとともに回らなくなり、外注できそうな国内の工場を探してみたんです。でも、糸の処理などに不満が残ってしまって。そこで母の小学校の同級生で、もともと学校の先生だった女性に相談してみたところ『私、やってみたい』と言っていただけて。和裁が得意なお母さんに育てられていた人で、もともと先生だったということもあって人をまとめて引っ張っていく力もお持ちだったので、内職スタッフのリーダーになっていただきました」

 そこからミシンが得意な仲間が集まりはじめ、現在では、長野県内に約50人の内職スタッフを抱えるまでになった。今回の新商品のアイデアを生んだのはそんな内職スタッフの一人だ。

 誰もが自由に意見を言える風土があり、新製品のアイデアも度々募っていた。これが今回の「ガーゼや布を簡単にマスクにできるストラップがあったら欲しい。私たちにも作れるのではないか」という提案につながった。

 順子さんと相談し、これから売り上げを伸ばすための方策を練り、ブランディングの見直しを決断。30~40代の働く女性により多く使ってもらえるブランドにするために、同年代の香南子さんが会社の顔となるべきだという判断で、3月から社長に就任した。

 前職のメリルリンチ時代は、日経新聞の一面に載るような、世の中に変化をもたらす大きなプロジェクトの一員となり、そのプロジェクトが公に発表されることで達成感を得られた、という香南子さん。今の仕事では、自社製品のユーザーを街で見かけたり、愛用者からメールや電話で話を聞けたり、従業員や製品を作る加工所のスタッフが生き生きと仕事をしているのを間近で見られたりすることに醍醐味を感じている。

 香南子さんの夢は、自社ブランドを100年続くブランドにすること。今の販売先は国内だけだが、将来は世界中の働く女性に使ってもらい、日常に彩りを加えてほしいという思いもある。そして、働く女性の皆さんに「こんな会社があるんだよ」「こんな生き方をしている人がいるんだよ」と知ってもらいたい、という。

 長野県の母娘が営む小さなメーカーから、ピンチの中でチャンスを見いだすことの大切さを改めて学んだ。

取材・文/小田舞子(日経doors編集部)