下積みを支えたのは「好きこそものの上手なれ」

 新井さんは制作部のアシスタントからスタートした。そこでロケ場所を探したり、撮影時にスタッフにお弁当を出したりする仕事を担当した。ロケで、住宅街にある家を撮影に使う場合、周辺の10軒くらいに挨拶に行き、撮影許可のお願いをしなければならない。『撮影など許さないぞ!』と住民に拒否されても、説得しないといけないのが大変だった。

 制作部、助監督、アシスタントプロデューサーの下積み時代は8年。それでも「辞めようと思ったことは一度もない」と新井さんは言い切る。下積み時代を支えたのは、自身を「ドラママニア」というほどドラマが大好きだから。「好きこそものの上手なれ、ですよ」

 先輩の顔を見れば「あのドラマを担当した人だ」と分かり、「第○話は良かったです」と詳細も語れる。そんなマニアぶりが分かると、年かさのプロデューサーからかわいがってもらえる機会も増えていった。

 ドラマを初めて見たのは小学5年生のとき。すっかりはまった。通っていた塾を早退してドラマばかり見ていたら、親からあきれられ「もう塾をやめなさい」となったという。見続けると、テレビ局ごとにドラマに世界観があることも分かった。

 新井さんが衝撃を受けた昔のドラマは何といっても坂本裕二さん脚本の『東京ラブストーリー』(1991年)だという。「セックスしよう」「(疲れて)電池切れちゃったみたい」という主人公のセリフに、いちいち驚いた。もう1つは野島伸司さん脚本の『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(1994年)。学校で殺人が起こるといったセンセーショナルな内容だ。両作品とも、放送された翌日は学校で大きな話題となり、見逃すと友人たちの会話にまったくついていけなかったことも印象に残っている。

 新井さんは今後、感動で涙が止まらないドラマを作りたいと話す。さらに長期的願望として、「映画を作ってみたい」という。

 「ありがたいことに、会社ではいろいろやらせてもらっています。ドラマは今まで連続、単発、配信、加えてドラマCMも手掛けました。手掛けていないのは映画です。映画制作の仕組みが分からないので、いつか機会があればやってみたいですね。連続ドラマがヒットして、そのドラマの映画版が作れたら最高だなと。その前に、ドラマを成功させないと、です」

取材・文/中川真希子(日経doors編集部) 写真/稲垣純也