最低でも1年間は英国にいるつもりだったのですが、心配だったのは、お金の問題。当時の英国は、英文の残高証明書や語学学校からもらう書類を入国審査で提出し、ビザのスタンプをパスポートに押してもらうシステムだったのですが、その当時の私の持ち金では、1年間も滞在する許可が出ないのではないかと考えていました。

 でも、なぜか希望通り1年間のビザをもらえたんです。入国審査官って厳しかったんですよ。でも、たまたま担当者が機嫌よかったらしく、さっさとビザを出してくれたうえに私にウインクまでしてくれたんです。その瞬間、思いました。「もう、日本には帰らないだろうな」って。その予感通り、今も英国に住み続けています。そういうもんなんですよね(笑)。

 ビザがもらえたからといって1年で帰るつもりはないから、すぐに仕事を探しに行きました。日本人向けの求人広告を掲示板で探し、日系の新聞社の駐在員事務所の電話番と学生アシスタントの面接に行ったらすぐに採用が決まって、入国から3日目にはもうそこで働いていました。「こんなにトントン拍子にことが進むんだから、もう私は日本に帰ることはないだろう」と、確信を強めました。

「私ってワーキングクラスじゃん!」と気づいた

時計の針を少し戻そう。そもそもブレイディさんが英国に引き付けられたのは、地元・福岡で出合ったUKロックだった。英国の音楽との出合いが、15~16歳だったブレイディさんの人生を大きく変えた。労働者階級の暮らしを歌う曲に憧れ、目標は「英国で生きていく」になる。

―― 英国に強く引かれたのは10代の頃からだったのですね。なぜ英国だったのでしょうか。

ブレイディ 高校生だった80年代の福岡は「めんたいロック」なんていわれるブームもあり、ロックが非常に盛んだったんです。音楽をやる人って、だいたいUKロックにかぶれるんですよ。私も英国の音源を扱うレコード店に出入りして年上の人と話をしたり、自分でもバンドをやったりしていました。

 あの頃の日本は「一億総中流」といわれていた時代。でも、わが家はあまり家計に余裕がありませんでした。高校は進学校だったこともあり、周りには医師や弁護士など恵まれた環境の子が多いなかで、自分の家にはお金がないとなかなか言い出せませんでした。学食でもパン1つしか買えず、みんなにそれで足りるのかと心配されたのですが「ダイエットしているから」と言っていた。お金がないと言えば貸してくれたかもしれない。でも、その場の空気を暗くするんじゃないかと思ってしまって。楽しいランチタイムを壊したくなかったんです。

 そんなとき、家に帰ってブリティッシュロックを聞くと気持ちが休まった。英国のロックには「今日は出かけたいけれど、お金がないから着ていく服が買えない」というようなワーキングクラスの日常をそのまま歌詞にしたような曲も多かった。そういう曲を聞きながら、あるとき気づいたんです。「私もワーキングクラスじゃないか」って。

「ブリティッシュロックを聞くと気持ちが休まった。聴いているうち、私もワーキングクラスじゃないかって気づいたんです」
「ブリティッシュロックを聞くと気持ちが休まった。聴いているうち、私もワーキングクラスじゃないかって気づいたんです」

 「ワーキングクラスの私がクールになれるんだったら、英国に行くしかない」って、15~16歳で決意が固まってしまいました。いつか英国に行きたくて仕方なかった。日本にとどまる気は一切なかったんです。「日本は貧乏人が生きていく国じゃない。私は労働者階級として英国で生きていこう」と決めました。

 目標は進学よりも渡英。バイトをしてお金をためて、好きなバンドを現地で見よう。目標があったから、高校時代の私は生きていけた。私の目標に、家族の反対は特になかったです。経済的に豊かではなかったので、親も自分の生活に手いっぱいだったんですよ。一貫して「お金は出せないから、経済的に自分でなんとかできるなら好きにしていいよ」というスタンスでしたね。