ロンドンで仕事を見つけたブレイディさん。現地で知り合ったアイルランドの人と結婚、引っ越した先が今も住む英南部に位置する街、ブライトンだった。やがて母になり、子どもという生き物の面白さに目覚める。

子どもができて、生活も考えも変わった

―― 英国で今のパートナーと知り合って、結婚なさったんですよね。

ブレイディ パートナーが英南部のブライトンに家を持っていたので、結婚をきっかけに引っ越したんです。そのタイミングで転職して、ロンドンの別の日系企業でフルタイムの職に就きました。ブライトンからロンドンまでは今でこそ快速列車で1時間もかからないけれど、あの頃はもっと時間がかかった。英国の公共交通機関は運休や遅延も珍しくないんです。だんだん遠距離通勤が苦痛になってきました。それで仕事を辞めて、日本人社会のツテをたどってフリーの翻訳を始めました。

 でも、子どもができて状況が一変。3時間おきに授乳をしながら翻訳の仕事なんてできません。寝る時間も確保したいですし。それで断っているうちに、仕事がなくなってきたんです。それに、翻訳の仕事の単価が著しく下がり始めた頃でもあった。機械翻訳が伸びてきていて、ワード数あたりの翻訳の報酬が目に見えて低くなっていました。フリーの翻訳で食べていくのはたいへんな時代になってきた。そんなときに子どもができて、方向性の転換も考えていたと思います。

 実は、出産するまでは子どもが大嫌いだったんです。でも、産んで育てるうちに面白いと感じるようになりました。周りに親戚もいないし、全くのワンオペでつらいこともあったけれど、楽しめることに気づいた。

 でも全くのワンオペとも言えないかも。当時の英国は労働党政権で、福祉や育児にお金を出していた時代なので、地方自治体のヘルスビジター(訪問保健師)が頻繁に赤ん坊の様子を見に来てくれて、いろいろアドバイスしてくれました。近所のコミュニティーセンターにも、育児健康相談ができるベテラン看護師が週に何度か巡回してきたので、息子を抱いてよく駆け込みました。「食べなくなったんですけど」とか「この湿疹は何ですか?」とか。「今度は何なの?」と笑われていた。だから孤立感はなかったですね。あの時代の英国の、ああいう(身近に公的支援が得られる)ところは素晴らしかった。

 さらにその頃は、労働党政権が外国人保育士を増やそうという政策を打ち出していた時期でした。


 後編「ブレイディみかこ 人生は直感でうまくいくと思い込む」ではブレイディさんが保育士になるまでの道のりや、ライターとして活躍するまでについて、振り返ります。

取材・文/樋口可奈子 写真/清水知恵子