地域ではあまり評判の良くない「元・底辺中学校」に通う少年の生活を母の視点でつづった、英国が舞台のエッセー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が大きな話題を呼んでいます。発行部数23万部に達するこのヒット作の著者・ブレイディみかこさんにお話を伺いました。ブレイディさんは英国在住のライターであり、保育士として託児所で働いていたこともある多彩な経歴の持ち主です。
前編 30歳で決断した「英国永住」
後編 人生は直感でうまくいくと思い込む ←今回はここ
「期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。(中略)自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。日本語にすればempathyは「共感」「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、73ページ)から引用
印象的なエピソードの多い本書のなかでも、ひときわ心に残る「誰かの靴を履いてみること」というフレーズ。ブレイディさんが取材時に着用していたジャケットに光るイエローの缶バッジには、息子さんが発したこの言葉がモチーフにしてありました。
30歳で英国への永住を決め、外国人保育士やライターの仕事を始めたブレイディみかこさん。そのバイタリティーの源は一体どこにあるのでしょうか? 前編「ブレイディみかこ 30歳で決断した『英国永住』」に続き、後編ではブレイディさんが外国人保育士やライターになった経緯、さらに「大きな決断をする際の決め手」について伺いました。
最初に電話した託児所へ実習に赴く
日経doors編集部(以下、――) 英国でお子さんが生まれて、翻訳の仕事が続けにくくなったタイミングで、「外国人保育士を増やそう」という当時の英労働党政権の政策を知ったんですね。具体的にどんな政策だったのでしょうか。
ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ) 外国人だけでなく、社会に出て別の仕事をしている人でも、保育に興味があるのならどんどん保育士の資格を取ってもらおうという政策でした。外国人保育士については、「幼少期から多様性を身に付けさせるために、保育士になってほしい」という狙いだったようです。
当時、政権を握っていた労働党は「保育士は子どものケア(世話)をするのではなく、幼児教育をする人たちだ」と意識を変え、0歳児からを対象にしたカリキュラムを作るなど、一大改革を行ったんです。新聞で読んで、面白い取り組みだなと興味が湧きました。
外国人や社会人が保育士を目指す際の費用は全額無料で、説明会に参加するための交通費や自分の子どもを預けるためにかかったシッター代も負担してくれました。
資格を取るためにはカレッジでの座学と保育所・託児所での実習が必要でした。自治体からもらった実習先の一覧表から、最初に電話して即日ボランティアに赴くことに決まったのが、本(『子どもたちの階級闘争』みすず書房、2017年)にも書いた無料託児所だったんです。保守党が政権を取って緊縮財政を始めると、財政難に陥って潰れてしまったんですけど……。『子どもたちの階級闘争』はその経緯を書いた本です。