恋愛にも結婚にも家族にも、人の数だけ形があります。固定概念やバイアスを振り払って、自分らしい生き方・在り方を探してみませんか? この連載では、さまざまな人が織りなす恋愛、結婚、家族の形をお届けします。今回は、2016年10月に築地本願寺で同性同士の結婚式を挙げてパートナーと夫夫(ふうふ)になり、現在は東京と山梨の二拠点でLGBTの理解促進や支援活動を行っている七崎良輔さんに話を聞きました。

(上)七崎良輔 友人にゲイだと告げ「つらかったと気づいた」
(下)七崎良輔 「ゲイとして家庭を築き最強に幸せに生きる」 ←今回はここ

七崎良輔(ななさき・りょうすけ)
1987年、北海道生まれ。高校卒業後に上京。2015年、パートナーシップ契約公正証書を結んだ夫と共に、「LGBTコミュニティ江戸川」を立ち上げ。2016年4月、LGBTのためのウエディングプランニング会社「Juerias LGBT Wedding」を設立。2016年10月、築地本願寺で同性結婚式を挙げ話題に。2019年4月には、東京・江戸川区に「同性パートナーシップ証明制度」が導入され、その第1号となる。現在は、東京と山梨の二拠点でLGBTの理解促進や支援活動を行っている。著書に『僕が夫に出会うまで』(文藝春秋)がある
ゲイであることを公表し、LGBTの支援活動を行っている七崎良輔さんは、パートナーの亮介さんと出会い、2015年9月30日に江戸川区役所に婚姻届を提出。不受理となるも、同日に公証役場で「パートナーシップ契約公正証書」を作成し、男女が結婚するときに発生する義務や権利を夫夫(ふうふ)間で契約することで、パートナーと家族になりました。不受理になることは承知の上で、なぜ婚姻届を提出したのでしょうか。下編では、その真意や、築地本願寺で同性婚を挙げた際のエピソードなどを聞きました。

母親へのカミングアウト

編集部(以下、――) 前編「七崎良輔 友人にゲイだと告げ『つらかったと気づいた』」では、ゲイだと自認した当時のことや、友人へのカミングアウトについて伺いましたが、家族にはどのように伝えましたか? 20歳の頃に母親にカミングアウトされたそうですが、伝えようと思った決め手は何だったのでしょうか?

七崎良輔さん(以下、七崎) 20歳の頃、自分の10年後を想像し、最高の未来をイメージしてみたんです。そのときに思い描いたのが、「私の隣にはすてきなパートナーがいて、私たちを祝福してくれる家族もいる」という未来でした。

 そういう未来を想像したなら、そこに向かって突き進むしかない。本当にたどり着けるかは分からないけど、最強に幸せになるためには、一歩ずつ近づいていくしか方法はありません。だから、まずは母親にカミングアウトすることにしたんです。

 もちろん、カミングアウトすることで母を苦しめるかもしれない可能性は、嫌というほど考えました。でも、言わないなら言わないで、一生隠し通していくつらさもある。どちらもつらいなら、ゴチャゴチャと考えるのはやめて、自分が理想とする未来に向かっていこう。同性愛にネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれないけれど、将来はゲイとして幸せな家庭を築いて、ネガティブなイメージ自体を変えていきたいと思ったんです。

―― カミングアウト後の反応はどうでしたか?