対比して描かれる、白人と黒人の人生

 カリルは、幼い弟と薬物中毒者の母親、ガンを患った祖母を養うために、割のいい仕事として麻薬の売人を選ばざるを得ませんでした。そして、丸腰であるにもかかわらず白人警官に射殺されてしまった。またカリルだけでなく、カリルの死の真相を語ろうとするスターに対して、家に発砲したり、家族に対しても暴力を振るったりギャングたちの執拗な脅迫が続きます。

 一方、スターの高校の友人たちは、安全な地区の大きな家でニュースを見ている。麻薬と暴力のまん延する危険な地区ゲットーで「悪い」黒人が暴れているのを白人警官が「果敢に」取り押さえるという、白人目線で編集された報道を。彼らは、カリルの事件の内容には興味がないけれど、Black Lives Matterの抗議活動には喜んで参加する。なぜなら、授業をサボれるから。

 黒人であるカリルがギャングスタ―的な「THUG LIFE」ではなく、白人のヘイリーのように安全な生活を送るには、どうすればよかったのか。スターのように安全な地区に引っ越したり、私立高校へ転校したりすればいい? 母子家庭で自分が一家を支えなければいけない彼に、そんな金銭的余裕はないでしょう。親や、祖父母や、それよりも以前から脈々と続く格差の中で、支えになる親もいないカリルが一人でどうにかできるのは、麻薬の売人になってお金を得ることくらい……。同じ年齢であっても、白人より黒人の人生のほうが圧倒的にハードモードだし、すぐ詰んでしまうことにがくぜんとします。

 「ニガーって言わなくても、人種差別はできるんだよ!」というスターの悲痛な怒りをぶつけられるヘイリー。確かに、ヘイリーは黒人に対して差別用語を使ったり、忌み嫌ったりはしていません。でも、事件の内容を知ろうともせず、黒人を「よい/悪い」だけで分別し、悪い黒人は殺されても仕方がないと考えています。このエピソードを通して、ヘイリーが無意識に持っているこの視点もまた、差別になりうるのだと、気付かされました。

日本に住む私たちが今できることは?

 海の向こうで起きているBlack Lives Matter運動に対して、日本にいる私たちが今すぐに何かできることは少ないかもしれません。けれど、映画や小説やニュースに触れて、新しく知り、考えることはできます。

 本作を見るまで、私は、「差別」というと個人の偏見によるものというイメージが強かったのですが、カリルの人生で描かれたように、個人の努力だけではどうしても抜け出せない、差別の構造について考えるきっかけになりました。多くのことを考えさせられる本作、ぜひ見てみてください。

文/榎本志津子 イラスト/六角橋ミカ