わたしは、ダニエル・ブレイク

 2本目は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』。イギリス・ニューカッスルで一人の男性が心臓を患い、大工の仕事にドクターストップがかかってしまいます。昔気質の職人で、PCなんて触ったこともないけれど、棚や家を作らせたら超一流! という59歳、ダニエルが主人公。

 病気のダニエルが、福祉事務局に障害者手当てを申請すると、問診で「就労可能」とされて給付を受けられない。それならば、と職業安定所で失業保険を申請しようとすると、手続きはすべてオンラインでやれだの、求職活動をしないと給付しないだの、履歴書の書き方講習を受けないと罰として給付をストップするだの……地獄のようなたらい回しと、お役所対応をされるのです。

 とにかく「絶対にお金は渡さん!」という役所の強い意志を感じて、心底イライラします。税金を払えという通知はガンガン送ってくるのに、こちらが何かを給付してもらおうとすると、ややこしい手続きやら膨大な書類やらが必要なのは、どこの国もおんなじだな! と自分の過去の経験を思い出して腹が立ったくらいです。

 ダニエルはまじめに働いて、税金を納め、ささやかに暮らしてきた普通の一市民です。隣人や元同僚とも仲が良く、役所で出会ったシングルマザーのケイティと子どもたちには、家族のように優しく接する。そんなダニエルは、ずっと貧困ではない 『こちら側』にいたのに、働けなくなったとたん、『あちら側』へ転がりこんでしまう。

 福祉は、困窮している人を救済するための制度で、それはどの国であっても変わらないはず。ダニエルも、ケイティも、助けを本当に必要としている人たちです。はたして、彼らが貧困に陥っているのは自己責任でしょうか? 自分の食事を後回しにして子どもたちを優先するケイティと、娘との生活を必死で守る『フロリダ・プロジェクト』のヘイリーは、どこが違うのでしょうか? 

 物語の終盤にダニエルが書いた嘆願書にあるとおり、私たちは、どんな人も、みんな一人の人間であり、名前があり、感情や人格があり、誇りがあって、それぞれの大切な生活があります。それを軽んじたり、嘲笑したり、無いものにする権利は誰にもありません。たとえ国家であっても。

 2作品とも、かなり重たい内容ではあるのですが、『フロリダ・プロジェクト』のモーテルの管理人のボビー(ウィリアム・デフォー、最高!)や、『ダニエル・ブレイク』で、図書館でダニエルにPCを教えたり、街で彼に親切にしたりする人々の存在にほっとします。

 私たちが今すぐ制度を変えたり、多額の寄付をしたり、ボランティア活動だけに専念するのは難しいことだとしても、困っている人にできる範囲で手を貸したり、見守ったりすることならできるかもしれない。お互いに敬意を持って、誰かにとってのボビーや、ニューカッスルの街の人々となることは、そう難しくはないのではないでしょうか。

 福祉制度なんて今の自分に必要がないから関係ないと無関心でいるのではなく、同じ社会に暮らす困っている誰かのために、また、いつか自分が必要になったときのために、血を吐く思いで働いて支払った税金のゆくえに関心を持って暮らすことの重要さを改めて考えさせられる作品、ぜひ一度ご覧になってみてください。

文/榎本志津子 イラスト/六角橋ミカ